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坂本繁二郎と青木 繁の水彩画 [絵]

坂本 繁二郎( はんじろう1882- 1969 )は、明治後期から昭和の前半まで活躍した洋画家である。代表作は「水より上がる馬」「帽子を持てる女」 など。淡い色調でありながら力強い画風で知られる。
坂本は1902年満20歳の時、同級生の青木繁とともに上京して、小山正太郎の「不同舎」に入って絵を学んだ。
青木繁とは、同じ久留米の出身で、生年も同じことから、比較されることが多い。文学青年で浪漫派で早世した青木、かたや87歳の長寿を全うした坂本には学者肌のところがあり、優れた美術論をいくつも著していて、二人は対照的である。

1921年(大正10)3年間渡仏、シャルル ゲランに師事。1912年頃から牛の絵を描き始め、この頃から坂本繁二郎の独特な画風が創られる。50歳ごろから馬(これが最も有名で、ときに「馬の画家」と呼ばれる)、晩年80歳を過ぎて月を好んで題材にした。能面や身の回りのものをモチーフにした静物画も多く残されている。終生九州八女のアトリエで画作、東京には出ていない。

坂本繁二郎には水彩画が多い。しかもエスキースではない、タブローと思われる良い絵が沢山ある。坂本の油彩画も極めて淡いので、画像で一見すると水彩画に見えるのも多い。画集や図録を持っているわけでもないので、見間違いかねないと危惧するほどだ。

制作年や題名が調べ切れていないが、まずはその水彩画から。



「白馬 」(1927 S2)
「母仔馬」
「松林白馬」(水彩) 17.6×23.3cm
「牛馬市 」(水彩)
「月」(1964 水彩)晩年には月を油彩、水彩で多く描いている。この水彩は習作のように見えるが、早い筆致と透明感が月明かりによくマッチしている。

ぼかしで背景から浮き上がるような、逆に沈んでいるような馬の絵の描き方などは、自分にも大変参考になるように思える。どんな技法なのだろうか。

青木 繁( しげる 1882- 1911 )は、代表作「海の幸」で有名な明治期の洋画家である。結核により28歳で夭折。奔放なタッチで独自の画風は、高い評価を受け今でも人気がある。
別れてしまうが、福田たねとの恋も広く知られる。たねとの間に生まれた息子は、我らが世代では懐かしい笛吹き童子の作曲で名高い福田蘭童(尺八奏者) 。その孫がクレージーキャッツ の石橋エータロー氏であることもよく知られている。
短い生涯で作品数も少なく、「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」などの傑作があまりにも有名で、そのかげに隠れているが、初期 の作品の中などに幾枚かの水彩画がある。「わだつみのいろこの宮」の水彩(水彩と確たる自信がないが)下絵もあるから水彩も巧みだったと見える。

image-20140107105641.png

「ランプ」(1901年頃 水彩 )川村美術館蔵。
青木19歳頃の作品。不同社に入る前に描いたものか。
静物画は、特に描く人の人柄を表すというが、この絵には、技術的に高度ながら、素直に心に訴えるものがある。特に背景の色面の美しさは、右側の暗紫色と左側の赤と緑のバランスがとれていて、主役のランプを引き立てている。ランプ中央の緑が左の背景の緑と呼応して目を引く。
卓上のランプが3冊の本の上に置かれている様子が描かれているだけだが、水彩の透明感でガラスの質感もよく捉え、青木繁が当時相当の水彩技術を持っていたかを示している。

「落葉径」(1902明治35 鉛筆淡彩)

「黄泉比良坂」 (よもつひらさか Escape from the Land of the Dead) (1903 明治36色鉛筆/パステル/水彩 )
黄泉比良坂は、日本神話におけるこの世とあの世をつなぐ道のことである。そこで変わり果てた妻イザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰る場面であろう。題材にふさわしい暗い絵だ。上部が少し光があるのが効果的。どこに色鉛筆とパステルを使っているのか判然としない。
裏面に「花園に立つ女」があり、これも水彩。習作だろうか。

「竪琴をもてる女(1904 水彩)

「絵はがき」(1904 明37水彩 9.0×13.9cm)

「錦絵 」(1905 明治38 水彩、金箔)32.7 x 24.5 cm
青木には水彩で描いた浮世絵風の作品がいくつか知られているが、これらは生活の糧として外国人向けに描かれたものではないかとされている。背景は金箔、鎧櫃の前で着物姿の女性が袂を噛み泣いている場面を描いた錦絵風である。「出雲朱比古C」という署名で本名を隠したのは、画家としてのプライドが許さなかったのではと推定されている。。

「狂女」(1906明治39 水彩 )29.1×15.5  石橋美術館 所蔵
1905年末から06年秋頃まで続いた、久留米帰省中に描かれたと推定されている。
この時は恋人の福田たねと生まれたばかりの子供を栃木に残しての帰省であり、辛い状況が、幻影を生み出したのではないかとされる。
右手を挙げ、眼を見開き口をあけて立つ裸体の女性を描いているが、何かを描こうとした下絵のようにも見える。女性の異様な表情、姿態とやや冷たい青白い色調が観るものを引き付けずにおかない。このあと青木は困窮と病苦を抱え、佐賀などを放浪し始める。

「無題」(水彩・素描)
「天平婦人」 (水彩 )22.5×14.1cm

最後に二人の代表作(油彩)を並べて、上掲の水彩画をあらためて見直して見た。



坂本繁二郎の代表作(油彩)は4枚。
「帽子を持てる女 」(1923 油彩)渡仏中の作品。単純化、デフォルメされているが、まさに坂本の色調。
「放牧三馬 」(1932 S7 油彩)静かな絵。
「水より上がる馬」(1937 S12 油彩)絵に動きと勢いがある。
「八女の月」(1969 S44油彩41.5×32cm)最晩年、亡くなった年の作品。

青木繁の代表作を3枚。
「海の幸 」(1904 油彩)一人だけこちらを向いている人物が福田たねだろうとされている。異様に白い顔でいやでも眼を惹く。
「女の顔 」(1904 油彩)青木にとっての「ファム・ファタール 」運命の女 -福田たねがモデル。
「わだつみのいろこの宮 」(1907 油彩)習作の水彩画は、本作品と髪の毛の長さなど少し違う。漱石が「それから」で次のように絵を褒めた。背の高い女というのはこの女性ではなく左に立つ方であろう。
「いつかの展覧会に青木と云う人が海の底に立っている脊の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った。つまり、自分もああ云う沈んだ落ち付いた情調に居りたかったからである」夏目漱石「それから」

青木の3倍も生きた坂本の絵は、やはり落ち着いている。並べて見ると、それがかえって若い時に絶頂期を迎えてしまった青木の荒っぽさのある絵の迫力を一層強くする。

坂本の水彩と油彩は、その距離があまり無いようにも見える。青木の水彩は油彩と違う。あくまで習作、素描か。「ランプ」で示した水彩の良さを追求していたら、どんな水彩画を描いただろうかと想像したりしてみる。
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