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長谷川 利行の水彩画 [絵]

長谷川 利行( としゆき 、読みは「りこう」とも)は、 明治24年(1891年)生まれで昭和15年(1940年)49歳で没した京都府出身の洋画家、歌人。
没年は我が誕生年なので感じがつかめるが、紀元2600年、日独伊三国同盟、八紘一宇、戦争の足音が真近に聞こえてきた時期。同年に39歳で没した、絵も描いた詩人小熊秀雄(1901-1940)がいる。

長谷川利行は、23歳で夭折した村山槐多(1996-1919)よりも5年年長 である 。
1921年30歳の時上京する。 絵は独学で1923年「田端変電所」で世に認められたが、同年関東大震災に遭う。以降絵も描き傑作も残すが、生活が荒れる。
震災の悲惨を見て詠んだ歌から察すれば、彼が受けた衝撃の大きさが分かる。荒れた生活も本人の性格もあろうが、この経験と無関係では無かろう。

40歳を過ぎた1930年代以降は木賃宿や簡易宿泊所、救世軍の宿舎などを転々とし、1937年の二科展を最後に公募展への出展をしていない。1932年に詩人や小説家と共に芸術家グループ「超々会(シュルシュル会)」を結成し、長谷川は会の中心的な人物となるものの、1年ほどで自然消滅したという。もとより人とうまくやるような社交的性格ではなかったのであろう。
アウトロー、バガボンド、放浪奇行の天才画家 、放浪の画家 、日本のゴッホなどの異名がある。
歌人でもあり、上野に熊谷守一の筆になる歌碑がある。
己が身の影もとゞめず水すまし河の流れを光りてすべる
自卑の心いよゝつぶさなりわきたちの涙をおさへ思ひつゞくる

1940年5月、胃癌のため三河島の路上で倒れて、東京市養育院に収容される。治療を拒否し、同年10月12日死去。49歳没。この際、手元にあったスケッチブックなどの所持品がすべて養育院の規則により焼却されたという。
彼の歌に
人知れず 朽ちも果つべき身一つのいまがいとほし 涙拭わず
がある。亡くなった時のものでは無いと思うが、まるで予見したような歌だ。

東山魁夷や熊谷守一などの実力者が早くから彼の力量を認めていたが、一般的には長谷川の評価が進んだのは死後数十年たってからである。
2009年にも、1930年協会展に出展していたうちの一枚の油彩、「カフェ・パウリスタ」(1928 油彩)が発見され、なんでも鑑定団で紹介され(鑑定額は1800万円とか)て話題になった。

荒々しいタッチと跳ねるような線の色による表現主義的画風 で独自の詩情性を現出すると評される利行の絵は、やはり油彩画に本領が発揮されているようにみえる。例えば、

「動物園風景 」(1937年頃 油彩)45.0×53.0cm 石橋財団石橋美術館蔵 などは、自分の好きな絵だが、神がかりのような絵としか表現する言葉が無い。彼こそ世界に通用する画家だという気がする。

かたや長谷川利行の水彩は一瞬で捉えられた風景や人物が即興性と叙情性をもって表現されていて油彩に劣らぬ魅力がある。
似たモティーフの水彩と油彩を並べて比べると面白いのだが、水彩画が思ったより多く油彩を掲げる余地が無く諦めた。機会があればやって見たい。

彼の稚拙とも見える水彩のヌードも独特の愛らしさが漂っていて面白い。わざと下手に描いているようだが、利行は子供の絵こそ手本と言っていたそうだから「目指すもの」だったのだろう。
利行は、「水彩画そのものに愛着やみがたい」と「 みづゑ」(1911.10「教育の所感」)に書いているから、その良さを認めていたことが分かる。

水彩画を風景画、裸婦・静物、人物画にグルーピングした。

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「浅草龍泉寺」(1927水彩)22.0×29.5cm 。
「上野駅」(1929 水彩 )23.0×13.5cm 。
「浅草ロック 」(制作年不詳 水彩 )23.7×31.5cm 府中市立美術館蔵 。
「不忍池から見たアドバルーンのある風景 」(1935水彩 )12.0×16.8cm 。
「浅草大通り 」(1935 水彩) 15.8×22.7cm
「浅草風景 」(1936 S11 )18.4×23.2 cm
「街角」(ドローイング1938 水彩、鉛筆)戦前の東京に暮らす人々が、路上に行き交い、昭和の詩情をつくり出している。
「銀座風景 」(1938 水彩 )45.5×60.5cm 個人蔵 。
「カフェ・三橋亭 」(制作年不詳 ガラス絵 )8.7×13.8cm 町立九万美術館。利行は一時期ガラス絵に凝る。
「葛飾C」( 水墨 74.0×12.0cm)晩年 病が重くなり油彩がきつかろうと水墨画を勧められる。

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「横臥婦 」(制作年不詳 )23.1×29.8cm。
「裸婦 」(制作年不詳 水彩 )33.4×24.8額装 暗い色調が他のものと変わっている。
「裸婦」 (水彩 )18.6×13.6cm 。茶系。
「少女」(1935 )上半身ヌード。
「裸婦 」(水彩 )20.0×17.5 モノクロ風。
「花 」(1935 水彩 )20.5×17.4 赤いバラ一輪。
「ニンニクの芽」制作年不詳。
「バラの花」( ?年 水彩 ) 19.5×18.0cm 。モノクロ風だが、赤い色が見えるよう。奥行きまである。
「楽器のある部屋 」(制作年不明 水彩 )16.0×21.3cm 。彩色が見たいもの。
「菜の花」(1941? クレパス )22.7×15.8cm。絶筆だとされるが。

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「下町の少年像 」(1935水彩 )22.7×13.7cm 個人蔵 。
「四宮潤一氏像」(1936 ) 
「カフェ・オリエント」(1936 )
「ノアノアの女」(1937)自分には油彩のように見える。他に油彩にも「ノアノア 」(1937) 79.7×64.5cm 個人蔵があるから水彩画だろうか。
「寺田政明氏像 」(制作年不明 水彩)27.1×18.0cm 。寺田は、靉光とともに利行と交流のあった画家。靉光を描いた油彩の有名な肖像画もある。
「天城俊彦像 」(1937 水彩)17.7×13.6cm 個人蔵 新宿天城画廊店主で利行の理解者。
「自画像 」(1938 水彩 )36.8×23.1cm 47歳亡くなる2年前のもの。病人ながら絵は力がある。
「茶房の女達 」( 制作年不詳 )21.5×27.0cm。

あらためて、力量に圧倒されるばかりである。

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