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カミーユ・ピサロの水彩画(1/2) [絵]

ジャコブ・カミーユ・ピサロ(Jacob Camille Pissarro、1830- 1903 )は、19世紀フランスの印象派の画家。
カリブ海の当時デンマーク領だったセント・トーマス島(サン=トマ)島において、ボルドー出身のセファルディムの四兄弟の三男として生まれる。絵を描きたくて1852年に家出を決行、ヴェネズエラの首都カラカスへ。3 年後には芸術の都パリに出る。

パリでは画塾アカデミー・シュイスに学び、そこでモネと知り合う。1860年代にはパリ近郊のルーヴシエンヌ、ポントワーズなどで、モネ、ルノワールらとともに戸外にキャンバスを持ち出して制作した。1870年(40歳)には普仏戦争を避けてロンドンへ渡り、現地で落ち合ったモネとともにターナーらの作品を研究した。

ピサロは印象派展には1874年の第1回展からグループとして最後の第8回展(1886年)まで、毎回参加しており、計8回の印象派展に欠かさず出品したただ一人の画家として知られる。

ピサロにはゴッホのひまわり、モネの睡蓮のような強い個性のある作品はない。
代表作は、「オペラ座通り テアトル・フランセ広場」( 1898 油彩)、「羊飼いの娘(小枝を持つ少女、座る農家の娘)」 (1881 油彩)「モンマルトル大通り、曇った朝」 (1897 油彩)などだが、言われて絵を思い浮かべられる人は少ないだろう。

しかし、あのセザンヌさえピサロを師と仰いだというのだから、実力者だったことは疑いが無いし、美術史において大変重要な画家であることは間違いない。
印象派の中では最長老だったこともあり、ゴーギャンなど多くの画家に慕われたというから人格者でもあったのだろうか。それを裏付けるように絵は温かみがあり、落ち着いてどこか優しい魅力がある。

それでいて、彼ら新印象主義と呼ばれる画家たちの多くは、当時流布していたアナーキズム(無政府主義)の思想に共鳴しており、ピサロも例外ではなく過激派でもあったというから面白い。

晩年には、新印象主義にこだわらず、ふたたび自由な筆づかいの作風に戻る。同じ景色を異なる光のもと描く連作という形式で、印象主義の探求を深めた。
73歳で亡くなるまで、いわば生涯を印象主義で貫き通した画家として知られる。

油彩画家であるピサロにとって水彩画は、テンペラ、パステルも同じだが、油彩を描くための下絵であったと思われる。野外で水彩の下絵を描きそれをもとにアトリエで油彩に取りかかったのであろう。多分当時の他の画家も同じであったように、あくまで油彩が主である。

ピサロにはグヮッシュを含め水彩画が多い。とくにエラニー時代1884年から1890年頃のものが多いように見える。むろんエスキースであっても、独立した絵として見ても楽しいことに変わりはない。
時々油彩で描いた習作も残されているので、ピサロの探究心の強さに感心してしまう。

ところが、晩年の連作もの、「モンマルトル大通り」「オペラ座通り(テアトルフランセ広場)」、「ポンヌフからのルーブルとセーヌ」などになると水彩が残っていない。何枚も描くので下絵など不要だったのであろう。同じような絵を、四季、晴、雨、雪、曇天朝、昼、夕方と光の変化を捉えようという執念に圧倒される。

ピサロの絵は、油彩も同じだが風景画が主で人物、静物画は少ない。水浴するヌードもいく枚かあるがごく少ない。
ピサロの水彩風景画は、油彩も同じだが見ていて落ち着く。安定しているのだ。今回じっくりと眺めてあらためてそう思う。何故なのか、そう考えて見ればアマチュアの自分にも多くの点で参考になるような気がする。

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「Boats at Dock ドックのボート」
「Cagnes Landscape カーニュ風景」カーニュ(シュル メール) は、フランス、プロヴァンス コート・ダジュール地方。保養地ニースの隣にある。
「Fan Project」
「Landscape 2 風景2」
「Landscape 3 風景3」
「Landscape at Eragny エラニー風景 」エラニーは、 仏イル・ド・フランス地方ヴァル ドワーズ県 、パリ北西郊外70Kmにある。 ピサロは1884 年から移り住み、亡くなるまでここで絵を描いた。
「Milking Cows 乳牛」
「Portrait of Jeanne, the Artist's Daughter 画家の娘、ジニーの肖像 」ピサロは、8人(うち2人は早生)の子沢山。そのうち5人が画家になったという。子供達は巨匠の親を越えられなかったのだろうか。
「The Effect of Sunlight 太陽の光の効果」 晩年のターナー風の絵。ピサロは普仏戦争を避けロンドンで暮らしていた頃ターナーの作品を研究したことがあるという。
「The Tedders」

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「Study for 'Cowherd at Eragny', エラニーの牛飼いのための習作 」(1884)
「Eragny Landscape, エラニー風景 」(1886 )点描水彩画。ピサロは1885年頃から90年まで、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックの影響で点描画法を試みているが、時間がかかりすぎると言って後に放棄した。
「Field of Rye, ライ畑 」(1888)
「Peasant and Child 農婦と子ども」(1890 水彩と黒クレヨン)
「Landscape at Eragny, Clear Weather, 晴れた日のエラニー風景 」(1890 )手前に台形の畑。
「Landscape with Figures by a River, 川辺に人のいる風景」(1853-4 ) 点景に 左下 のロバ 。籠を下げている。
「The Banks of the Marne at Cennevieres,」( 1864-1865) 左下ボートが良い。
「Road to Saint Germain, Louveciennes, サンジェルマンへの道 」(1871 )真ん中の馬車がすぐに目に入る。
「Study for 'All Saint't Church '」(1871 グヮッシュ)
「テーブルの二人の農婦 」(1874)
「農場の白い馬 」(1874グヮッシュ)

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「Half length Portrait of Lucien Pissarro リュシュアン ピサロの半身像 」(1875 ) 長男リュシアン(画家)その娘(ピサロにとって孫)も画家になったという。
「裁縫する婦人 」(1881 グヮッシュ)
「Landscape at Osny, オニの風景」(1882-3 )真ん中に牛一列。描きたかったのはこれだろうか。
「じゃがいもの収穫 」(1884-5)
「La Saint Martin a Pontoise 」(1884-5)
「Peasant Woman in a Cabbage Patch キャベツ畑の農婦 」(1884-5)
「Peasant Woman Standing next to a Tree, 木のそばに立つ農婦 」(1885)
「The Round 円舞」(1884水彩)84年と92年の似た絵が2枚ずつ。どれが下絵か分からぬ。この水彩は47×61cm だが、他の3枚の大きさが不明。
「La Ronde 円舞 」(1884油彩)
「La Ronde 」(1892水彩と黒チョーク)
「La Ronde」( 1892テンペラ カンヴァス)

次回(2/2終)でもピサロの水彩画をたっぷりと。

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