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野見山 暁治の水彩画 [絵]

野見山暁治(のみやま ぎょうじ)氏は1920年福岡県生まれ93歳、現役の画家。池袋モンパルナスにいたというから、戦前から戦後を通じて活躍し、抽象画の第一人者。2000年文化功労者。文章家で1978年『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞している。

1943年東京美術学校洋画科卒、直ちに20歳で応召、満州で発病し入院。
1952ー1964フランス滞在。
「信濃デッサン館」の館主窪島誠一郎(作家水上勉の子息)と協力し、戦没画学生(とくに母校・東京美術学校から召集された者達)の遺作の収集・保存に奔走し、それが「無言館」設立(1997年)に繋がる。

現役の画家の水彩画を取り上げるのは、どこか躊躇する。敬称を略することにも、ちょっと引っかかる。大家だし、こちらはアマ、絵を拝見するだけだからとお許し願う。

つい先日、東京新聞(2014.2.28夕刊)に開催中(3.23まで)の「野見山暁治展(いつかは会える)」の紹介がされて美術評が掲載されていた。
批評子は、彼が他の現存の大家たちと少々違うのは、美術の潮流や美術界といったものから離れ、気儘に自由な精神性を誇示し続けられたことにあるとし、淡々と老いを受入れる優雅さを望むと書いている。
そのうえで、100号を超える大作への拘りは老いへの抵抗と言い、全体的に形態が弱く、色彩も濁り気味でどんよりと鈍く、以前のような軽快な爽やかさに乏しい(優雅に老いを受け入れていない)、と手厳しい。
自分は、こういう文章を読むと、一部の人はうなづくかもしれないような変わったことを言わねばならぬ批評家にならず、良かったといつも思う。
色彩の濁りもどんより沈むのも、その時の作者の精神性を現している。それが、老いから来るというのは先入観、というか独断であろう。濁りも色のうちであるし、どんよりも時代の空気、あるいは作者の何らかの意思を表現している、かも知れないではないか。批評子は今幾つか。93歳の精神が分かるはずもない。

野見山暁治氏は以前から気になっていた画家の一人である。中身は忘れているが、エッセイも読んだことがある。読書記録を見ると「うつろうかたち」( 2003 平凡社)だった。
自分には理解の外にある抽象画に興味がある訳では無い。何処かでペンでサラサラと描き水彩を着色した絵を見たことがある。それに惹かれたのだ。

画集で水彩画を探して見た。
水彩画は、フランス滞在(1952〜64)中のものとそれ以外のもの、風景、人物などの具象画と抽象画とに分類出来そうだ。
大きさに注目すると、水彩としては意外にかなり大きいことに気づく。

抽象画はやむを得ないとして、具象画でも、描かれたものとは違った題名が付けられていて戸惑う。俳句、連句でいえば付きが離れているのだ。抽象水彩ももちろん同じなので、自分などは絵と題名が一致せず悩む。これは野見山氏の油彩の抽象画でも同じだ。題名が数字、記号でなく詩的な文章なのが救いである。



「ヴオヴァロン 」以下の3枚は渡仏中のものだろう。
「パリ風景」(1963 水彩 インク)25x44cm。
「パリ風景」(1963 水彩)23x45cm。
「もう忘れた」 制作年不詳(不詳といっても自分が捜しきれなかったという意味だがー以下も同じ)。抽象水彩画。さつまいもらしきものが中空に浮かんでいる。
「題名、制作年不詳」抽象画。サインが無いので逆さと言われても反論出来ない。
「題名、制作年不詳」女性像。
「はやく消えろ 」制作年不詳。ローソクの灯のようなので、題名との「付き」は近い。
「ブラッセルの女 」(1957-58 昭和32-3 水彩 グアッシュ) 53.0×37.0cm。渡仏中の習作か。
「明日にしよう 」(2001 H13 ペン インク グヮッシュ)38.0 ×30.0 cm。この2枚は何処かで見たような気がする。上を向く男だが、明日何をするのか。
「長い一日 」(2001H13 ペン インク グヮッシュ)34.5× 51.0cm 。赤い椅子にもたれる女。
「工事場 」1956 インク グワッシュ )37.5×54.0cm。2枚とも渡仏中のもの。
「花 」(1961 グワッシュ ペン インク )65.0×50.0cm。



「電話しよう 」(2001H13 ペン インク グヮッシュ)56.5 ×38.0cm。右向き二人?
「どうしよう 」(2001H13 ペン インク グヮッシュ)56.5 38.0cm。鏡に言っているのか。
「嘘じゃない 」(2012H24 グヮッシュ)66.0 ×92.5 cm。嘘は左の紫か右の煙?。
「コスタ・ブラバ 」(1963水彩 インク)37.5×41.4cm 。コスタ・ブラバは、スペイン北東部、カタルーニャ州の地中海に沿う海岸線。フランス海岸まで続く景勝地らしい。
「九月の空」(1972 インク グワッシュ )60.0×43.0cm。半抽象画とでもいうのか。
「憶えている景色」(1987 グワッシュ )60.5×81.0cm。
「自画像 」(制作年不詳)油彩であろう。
「風の便り 」(1998 ガッシュ )38.5×56.5cm。赤と青が素晴らしい。
「振り返るな 」(2012 H24 グヮッシュ)66.0 ×92.5cm 。左下橙色 中に虎模様。
「水の音 」(2001 H13ペン インク グヮッシュ)68.5× 50.0 cm。下半身裸は男か女か、音は何の水か。観るものが勝手に考える。
「何と伝えよう」( 2012 H24 グヮッシュ)92.5 ×66.0cm。コメントする能力なし。
「忘れた刻」(1987 グワッシュ )60.0×80.5cm。上に同じ。

氏にとってもやはり油彩が本命だが、水彩が好きなことはよく分かる。氏は水彩についてこう書く。
「水彩とはいつとはなしに馴染んでいる。そんな付き合いだから、倦きれば、そっぽを向けばそれでいい。油彩みたいに澱んだものがない。記憶を消して行くようで清々しい。(略)
油絵とは闘いだが、闘い疲れた時に、水彩絵具喉を潤すような快さだ。しかし、それはあまりにも無抵抗だから、この中に浸りきると寂しい。
水彩画では室内の女や裸婦や、花瓶の中の花々を描く。どうしてだか自分では分からない。
一般に美しいとされているそれらの具体的なものを、油絵ではどうして描かないのか。
(略)
ぼくにとって食卓に座って食べるのが油絵。ソファに傍りかかったり、そこいらを歩きながらでも食べれるのが水彩画。果物かケーキか、あるいは飲み物。そう言えば話が早いか。
ただ誤解のないように一言付け加えると、食卓以外を軽く見ている訳ではない。デザートの爽やかさは、ぼくにとって大事なものだ」(僕にとっての水彩画)

水彩画には油彩のために下絵として描くものと、そうでない水彩画(水彩タブロー)と二種類あるように思う。氏の水彩画は、下絵でないにしても最終的には油彩画を描くために水彩を描くようでもあってどちらになるのか微妙だ。

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