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江國 滋の水彩画ー弄ぶ、玩ぶ、翫ぶ、もてあそぶ [絵]

江國 滋(えくに しげる、1934 - 1997 62歳没)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。
新潮社に入社したが1966年32歳で退社、落語雑誌の編集などをしたあと文筆業に専念する。作家の江國香織の父。
食道癌の合併症で逝去。闘病中の句集「癌め」及び俳句日記「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」が没後に出版される。

この人は、絵にとどまらず多才であった。多芸というべきか。俳句、手品、将棋はプロはだし。これを余技と言いながら沢山の本を書いている。
ふと、「君子は多能を恥ず」と画家の中川一政が「絵にもかけない」というエッセイで書いていたのを思い出したが、飲み助で磊落ながら愛嬢思いの江國にはあてはまらない。この人が紳士であることは疑いない。

自分は退職してから、軽妙洒脱な文に惹かれてこの人の随筆をよく読んだ。
俳句関係が多かったと思う。読書記録を見ると、「俳句と遊ぶ法」( 朝日新聞社 s59 1984 )、「スイス吟行」(1993新潮社)、「慶弔俳句日録 」(新潮社)、「気まぐれ歳時記」( 朝日新聞社)、「 季のない季寄せ」( 富士見書房 1989)、「 旅券は俳句」( 新潮社 1990)、「微苦笑俳句コレクション 正続 」(実業之日本社) などなど。
それまで俳句はまったく知らなかったけれど、その面白さを江國随筆によってたっぷり教えて貰ったような気がする。
彼や変哲こと小沢昭一の語る東京やなぎ句会の話などは、まことに愉快である。

俳句の他にも「1994-95ラプソディー・イン・アメリカ」( 新潮社 1994)、「きょうという日は 」「江國滋の絵ごよみ 春夏秋冬」( 美術年鑑社 1997)「名画と遊ぶ法」(1993 朝日新聞社)、「スペイン絵日記」 (1986 新潮社)などここにあげたら挙げきれないほど、といったらおおげさか。
ただ病床日記「おい癌め〜」と句集は、図書館の棚で背表紙を見るだけで今もって読む勇気が出ないでいる。小心なのである。


今回は俳句のことでなく、絵の話。
上掲の本でも挿絵、表紙に自分の水彩画をたくさん使っている。

彼の画文集に「旅はパレットThe World in Water-Colour 」(新潮社1984)がある。今回インターネットで検索して図書館で借りたら、保存庫入りでおまけに汚損(水漏れ)付箋付きだった。余計なことながら、本を粗末にする輩はヤギに食われてしまえ、と毒づきたくなる。
この画集は滋酔郎50歳のときのもの。

絵は鉛筆淡彩の旅のスケッチである。絵が先にありそれに文をつけている。一枚の絵を見てこれだけ文が湧き出すところがすごい。
風景だけでなく人物が随所に入り、線に動きがあってライブ感があり彩色も素晴らしい。自分も現役のとき、出張先で同じようなことを試みたが、とてもこうは描けなかった。
カルチャーなど絵の教室に行かなくても、描ける人は描けるのだと思うと10年も通った自分が情けなくなる。
ときに、ぼかしなども入り、これが自己流かと呆れるほど上手い。

このなかに海外の絵のほか、九州旅行の水彩画があり、福岡に1年1ヶ月赴任したときのことを懐かしく思い出させた絵が数枚ある。自分が描いたのでもないのに、博多の中洲、屋台、志賀島(しかのしま)、柳川、秋月など、ありありとまぶたに浮かんだのは江國滋の絵がそれほど上手いということか。それとも25年も前のそこでの自分の印象が強かったのか。その両方であろうが、絵の力をあらためて感じてしみじみとさせる。

「旅はパレット」の中から。
題名は、サインとともに絵に添えられたものをそのまま。




「ニューヨーク 北野ホテルの窓から」
「ローザンヌ 石畳の坂」
「博多 ホテルの窓から那珂川ごしに」
「博多名物の屋台 市立歴史資料館前」
「福岡志賀島 海が見える交差点」
「秋月城址前」

上掲の「俳句と遊ぶ法」の冒頭で氏は、俳句というのは、ひねる、詠む、作る、浮かぶ、案ずるともいい、またもてあそぶなどともいう。「もてあそぶ」には、武部良明著「漢字の用法」によれば三つの漢字があるが、俳句は「翫ぶ」もので、遊んだあと棄てると「弄ぶ」になってしまうという。
弄 ー自分のもののように、勝手に動かすこと(例)人の感情を弄ぶ、運命に弄ばれる
玩ー好きなものとして楽しむ(例)笛を玩ぶ、花を玩ぶ、玩びもののおもちゃ
翫ー心の慰めとして、愛すること(例)美女を翫ぶ 、俳句を翫ぶ

俳句は翫ぶもので、遊びだからこそ、ルールを守りしかも真剣でなければいけない、本気で、真面目に厳格に遊べと氏の持論を展開していく。

そういえば、「愚弄する」というし、誰かが「玩物喪志」という言葉があると言っていたなと思い出したり、中村翫助、芝翫、翫雀は「かん」だがこの意味があるのか、ないのかなどと埒もないことに考えが及んだ。

氏にとって落語、マジック、将棋も同じ「翫」なのだろうか。彼の水彩画はどうなのだろうかと考えたら、ひるがえって自分の水彩画はどうなのかと考えさせられた。
真面目に真剣に本気で遊んではいるが。

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