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堀井英男の水彩画 [絵]

堀井英男は1934年(昭和9年)に茨城県の水郷、潮来(いたこ)で生まれ、後半生を八王子で過ごした画家・版画家。
東京藝術大学大学院中退後、油彩を描いていたが、ほぼ独学で銅版画を習得し、主に現代社会の人間などを幻想的に描いた色彩銅版画で高く評価された。

堀井は版画家として活躍したが、1980年代後半から絵画に回帰し、とくに1992年肺手術後水彩を描き数多くの水彩画を残した。水彩画は手軽に描けるので病人、こども、老人にはお誂えの画材だとあらためて思う。
高見順ら文学者との詩画集制作や美術学校での後進の指導にも熱心に携わったが、1994年(平成6年)才能を惜しまれながら60歳で逝去。

堀井の水彩画はあまり透明感は感じられず、油彩に近く、むしろ銅版画の方が水彩のように見える。雲母を使っているらしいが、どこにどう使っているのか判らない。どういう効果があるのだろうか。
コラージュ、パステルなども併用し単純な水彩画ではないのが特長か。絵は半具象というのであろうか。アマチュアには解りにくい絵だ。




「無題(108-88)」(1988 S63水彩 パステル 雲母 )36.9 ×26.9 cm。
「Kの肖像」(1989 H1 水彩 鉛筆 雲母 コラージュ)66.0 ×50.5cm 。コラージュは 英字新聞 。
「ある地点で 88-2 」(1988エッチング・アクアチント) 42.5×58cm。
「開かれた顔 90 」(1993 H5 水彩 鉛筆 ペン 雲母 コラージュ)60.7 ×45.5cm。亡くなる1年前の作品。
「開かれた顔90-2 」(1990 )個人蔵。
「憩 89-2 」(1989 エッチング・アクアチント・ソフトグランド・ステンシル) 25×18.2cm。
「無題(11-93)」(1993 H5 水彩 パステル コラージュ )50.0 ×65.5cm。
「無題(48-92)」(1992 H4 水彩 ペン 雲母 コラージュ)22.0× 30.4cm。2枚とも顔らしき絵と辛うじて見えるが、コラージュはどの部分か判然としない。

堀井英男は黒に惹かれた孤高の画家オディロン・ルドンの幻想的な詩情を愛したという。沈んだ色調の銅版画にはたしかにその影響があるようにも見えるが、水彩にはルドンの水彩の鮮やかさはまだ無い。
ルドンは50歳を過ぎてから、黒を基調とする絵から色彩豊かなパステル画などに変わって行ったが、堀井の銅版画から水彩への転進もこれに似ている。
もう少し長生きしたら、ルドンの鮮やかな絵に近づいたかもしれないなどと想像したりする。

参考記事 オディロン・ルドンの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-09-26

オディロン・ルドンの水彩画 その2
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-10-09


同じ茨城県出身の水彩画家に小堀進(1904年 - 1975年 71歳で没)がいる。中西利雄と同世代である。水彩連盟の設立メンバーで水彩画家として初めて日本芸術院会員となった。
郷里の霞ヶ浦・水郷をはじめとした国内外各地の風景を、鮮やかな色彩と単純化した大胆な構図でダイナミックに描き、戦後の水彩画界にも大きな影響を与えたが、堀井英男と接点はなかったのだろうか。二人は年代も親子ほどちがうが、およそ画風が異なる。大雑把を承知で言えば、後進の堀井の方が暗く歳上の小堀の方が明るいのは、二人の幼少、青春時代の背景がそうさせたのだろうか。


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