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麻生三郎の水彩画 [絵]

麻生 三郎(あそう さぶろう)は、1913年( T2)東京都生まれの洋画家である。武蔵野美術大学名誉教授。 2000 年(H12)87歳で死去。

戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。武蔵美卒の彫刻家、麻生マユ(1951 S26-)は実娘。

麻生は、1930年に太平洋美術学校選科に入学。ここで松本竣介や寺田政明らと出会い、長谷川利行や靉光との池袋モンパルナスの交流が始まる。1933年に退学し、1936年に寺田政明らとエコール・ド・東京を結成。翌1937年の第一回エコール・ド・東京展に作品を発表。

震災 、太平洋戦争、朝鮮戦争を経て、安保闘争、核実験など社会問題への関心も高くそれらをモチーフにした作品も多い。しかし絵は半具象、抽象的で難解である。

水彩画も何枚かあるが、油彩と同じで暗がりから浮き上がってくるような独特の絵である。見る者は否応なしに、何かを考えさせられる。



「子供 」(1952 s27 水彩 墨 )33.6× 24.1cm。モデルが1951年生まれのマユであれば、2歳だが。基調色はブルー系。
「男の像 」(1963)水彩が使われているかどうかは不明。まるで落書きのよう。
「ヌード 」(1958 水彩 )27.0×24.0cm  題名不詳。
「人ー8 」(1991 H3 水彩 木炭 鉛筆 )65.0 ×50.0cm。女性らしき上半身像。78歳のときだからかなり高齢のときの水彩画だ。
「花」(制作年不詳 水彩 )49.8×64.0cm。カーネーションか。
「赤い空 」(1956)代表作のひとつ。
「人ー20 」(1992 H4 )( 水彩 鉛筆 )65.0× 49.8cm 。 全身像。79歳のときの水彩画。
「月島 」(1959 素描)麻生の絵は、一見デッサンなどお構いなしのように見えるが、素描力は高く評価されている。
「自画像」(1937 油彩)24歳のとき。赤が効果を出している。

麻生三郎の絵は幾つかの特色があるが、主なモチーフが人であることもその一つであろう。自分、家族、立つ人、座る人様々な人間が描かれている。風景や静物画などはごく少ない。
彼にとって生涯最も関心があったのは、人であったように見える。それも人間の精神、内面であるから、人物像の中にそれを表現して見るものに伝えようとしている。
見る者は別の個体であり、その精神を正しく読み取ってくれる保証があるわけではない。
絵は風景でも静物でも対象を表現するだけではなく、何かを表現しようとするものだが、人間を描き人間の心の内奥を描くとなるとさらに厄介だ。
肖像画は、モデルの性格、精神まで表現するなどというが、これとは似て非なるものだろう。人物を描き普遍的な人間の精神性を描くなどということが、はたして可能なのだろうか。

麻生の人物の絵を見ていて、ついアマチュアには手に負えぬテーマにさまよいこんでしまったようだ。
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