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水彩画の技巧 超絶でなくても… [絵]

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台湾の故宮博物院の至宝展が開催されている(26.6-9 国立博物館)。翠玉白菜や肉形石の方が有名だが、17世紀清時代の精巧な「象牙多層球」も凄い。
一本の象牙から削り出された球のところどころに穴を開け,そこから工具を差し込んで彫り,入れ子状に球の内部に球を作る。その工程を何回も繰り返し,21層にもなる重層的な構造を作ったうえで,表面に精巧な透かし彫りを施し,なおかつ各々の球が滑らかに回るという,超絶の技を駆使して作られた逸品である。

10年ほど前の台北ツァーで故宮博物院に行き、これらの至宝を見た。そのとき、象牙球はどう作ったのか不思議に思ったものの、製法を追求もしなかった。
先日NHKスペシャルで故宮博物院の至宝について放映していたのを見て、なるほどと納得した。中国人のオリジナルでなく、ドイツの旋盤技術の応用だという。日本のこけしや木のお椀を削る旋盤を思い起こせば良い。中国人の独自性は龍などの透かし彫りなどを施したところだという。

ところで、どんな分野でも、世に超絶技巧を持った人はいるものだ。切磋琢磨、研鑽、努力はもちろんだが才能、資質もあるのだろう。
例えばすぐに思い出すのは、作曲家でもあったヴァイオリ二ストの ニコロ・パガニーニ。悪魔に魂を売り渡した代償として得た技などと言われた超絶技巧奏者である。
芸術家のみでなくスポーツからサーカス、大道芸人まで人間技とも思えぬ技術を持つ人は数えきれない。

水彩画の世界でも超絶技巧を持った画家は、A・デューラー、G・モロー、W・ターナーやA・ワイエスなど歴史的にも沢山いたし、現代作家でも驚愕の筆さばきをする画家が多い。しかもいまや、油彩にひけをとらず多様な技法があるうえに、多彩なマテリアルが進化しているので技術の進歩は驚くばかりである。
中国人の水彩画家などには、水墨画の伝統もあるのか見事な技術を駆使し、素晴らしい絵を描く人があまたいる。水彩の神様とも呼ばれるA氏など、アマチュアの自分から見るとまさしく神業に近い超絶技巧の保有者だ。

絵は技法ではなく心と感動だ、精神性だ、というのは、自明のことだが、技術の側面も厳然としてある。自分の感動を人に伝える表現技術だから、昔は画家を絵師、画工と言ったように、職人技の側面もあることは否定出来ない。

レベルは大差があれど、アマチュアでも、これはやって見るとよく分かる。水彩は手順を間違えると、取り返しがきかないなど、技術をないがしろに出来ぬ例はいくらでもある。
いつかグラウンドローズ(蔓薔薇)の小さな花を描こうとして失敗したことがある。白抜きを「塗り残し」で試みたが、数が多く根気が続かない。
沢山の小さな花に感動し表現してみたかったのだが、力尽き絵にならず自滅した。そのころマスキング技法など知らなかったのである。
ある程度の技術があってこそ、感性豊かな絵になる。始めから巧まずして良い絵が描けるのは幼児か、象やチンパンジーくらいであろう。

水彩は水と紙と絵の具で「自然」に逆らわず描くのが良いとされる。そのためにはある程度の技巧が必要と気が付くのに8、9年もかかった。ただひたすらデッサンに色をつけていた。そのうちうまくなるだろうという根拠のない考えで長い歳月が流れた。

絵は家人が友達に頂いた寄せ植え、フラワーアレンジメントをマスキングやラッピング、リフティング、ドライブラシなど最近練習している技術を、なんでもかんでも節操なく使って描いたもの。これでまだ使っていないのは、ソルトペインティング、スパッタリング、ポーアリングくらいか。下手な技術が目立つだけの絵となっているとちゃんと確認し、まだまだと自覚している。殊勝なシニア・老生である。F6 ウォーターフォード 。

「超」がつかない基礎的な技巧で良いので、これらを早く身につけた上で、それを最小限に使って紙と水の特性だけを生かした水彩画を描くことをこれからの目標としよう。

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