SSブログ

宮本三郎のパステル画3(終)ータイの踊り子・歓喜の金色 [絵]

宮本三郎は「油でなければ必ずしも力の入った絵ではないように思うのは間違い」「 芸術心の満足できるのはデッサンも油彩も同じ」と言い、常時デッサンを描いていたと言う。

今回パステルデッサンを中心に見たら、パステルデッサンと本制作の油彩と感じがよく似ているのがあらためて分かり面白かった。油彩を描く前にパステルで習作を描くのは、この感じが似ているということと関係ありそうだ。水彩のスケッチ、習作から本制作にとりかかるのとは、またひと味違うのかも知れない。


「タイの踊り子」 (1965) 65×50cm。金色に輝く冠を油彩ではどう描くのか、と氣になる。
「歓喜 」(1965 油彩)162.3×130.8cm。パステルの「タイの踊り子」をもとにしたもの。画家はデッサンとクロッキーは何度でも交互に繰り返すべ しという 。動きを重視しているということだろう。確かにパステルデッサン、本制作の油彩とも踊り子に動きがある。
「石橋正二郎氏」(1968 )53.7×37.5cm。モデルは、地下たび、車のタイヤで成功したブリヂストン創業者。ニッサンの育ての親。鳩山安子は娘。同郷福岡久留米の青木繁、坂本繁ニ郎との関わりで美術品を蒐集、後にブリヂストン美術館を建てる。
「石橋正二郎氏像 」(1969-70 油彩) 大きさは73×60cm。パステルより少し大きいだけ。パステルが描かれた1年後に描き始められた。顔は、ほぼパステルを原画(下絵)にしたように見える。肖像画にしては人物が小さく、部屋の様子がわかるように描かれているのが面白い肖像画である。
「舞妓 豊千代 」(1947)珍しく静かで淡白な絵。良く見ると顔や首に白い斜線を引いている。襟の白も効果的。眼などの細い線はどう描いたのだろうか。あたりまえながら技術的にも高度と分かる。
「奈良・新薬師寺」(1953)
「白山遠望 」(1968)
「妻と私 」(1963 油彩 )ツーショットの自画像というのは余り見たことがなく、珍しいのでは。画家58歳。この絵のための鉛筆のデッサンスケッチはあるが、パステルは描かなかったと見える。
妻の洋服に使われた黄色はゴールドだろうか。
引っ掻いたような白い線は、パステルと同じような。

こうしてみると、鮮やかな色彩もさることながら、パステルにしても油彩にしても、やはり線が躍動しているのが宮本三郎の絵の真骨頂のように思える。一見パステルデッサンにあった線の動きが、油彩では消えているように見えるが、そうではないようだ。
パステルの色合いが、油彩にも残っているのと同じように。されば、本制作の油彩がパステルデッサンに似るのは当たり前ではある。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。