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若冲と蕪村展 [絵]

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5月8日、赤坂の東京ミッドタウン( ガレリア3F )にあるサントリー美術館で開催された若冲と蕪村展へ行ってきた。
絵の展覧会は、何かの用事の帰り元気があれば行くというのが多いが、珍しく今回はわざわざ出かけた。

若冲(1716-1800 )と蕪村(1716-1784)の 二人は、同時代に活躍したが、それぞれ京都の若冲、大阪の蕪村として、交流がなかったらしく、影響しあったとしても間接的という。
生まれは同年で、ともに本格的に絵を描き始めたのは40歳頃からといい、比較的遅いが、若冲の方が16年も長く生きた。没したとき若冲84歳、蕪村68歳。二人とも晩年まで絵を描いたようだが、80歳頃の若冲の絵は気のせいか、ちょっと変わってきたようにも思う。たとえば代表作のひとつ「象と鯨図屏風」は繊細さが消え太いタッチが力強くユーモアさえ漂う作品だが、その制作年は1797年、81歳のときである。
一方周知のように蕪村は画人でかつ俳人、いわば詩人であり、二道を追求した。二人の天才は、むしろ相違点の方が明瞭な気もする。

この展覧会は、「生誕300年 同い年の天才絵師」 と題しているが、「彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面を見て欲しい(美術館のHP)」と言っているようにむしろそちらが主題なのか。あまり聞いたことがないが、「京都ルネッサンス時代」とか。

かつて、自分はこのブログで池 大雅(享保8年1723-1776 53歳で没)と与謝蕪村 (享保元年1716-1784)を並べたことがある。

蕪村老は天才大雅を追い越したか(1)〜(3)
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-05-07

また、一方の若冲については富岡鉄斎と比べたことがある。

丹青
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301326509-1

絵は好みとは良く言ったもので、個性の強い別の画家の絵を比べても得るものは少ないが、しばしば対決ふうに並べられることがある。
歌麿と写楽、雪舟と雪村、永徳と等伯、宗達と光琳という具合いである。蕪村ならやはり「十便十宣図」で競った池 大雅であろう。富岡鉄斎なら横山大観かと思うが、自分が若冲と鉄斎となぜ並べたのか、今となっては覚えがない。

今回の展示会が開催期間が二か月(3.18-5.10)と短いのは、絵の品質保持のためであろう 。この種の絵ではやむを得まい。気になっていたが、あと三日しかないというときになって、やはり見たいと思い、体調必ずしも良好ではないが重い腰を上げた。

2か月に5回も展示替えをしなければならない理由も、作品保護のためであろうが、展示替えリストを事前に手に入れるほど熱心ではないので、運任せとなるのもやむを得ない。たぶん三回以上行かないと全作品は観られないだろう。

丸山応挙と蕪村の合作「蟹蛙図」、蕪村「鳶・鴉図」、が展示替えで観られず、そのかわりに蕪村の三横物「夜色楼台図」「冨嶽列松図」「峨眉露頂図巻」、若冲の「達磨図」が後半の展示になり、幸せにも観ることが出来たというぐあい。若冲の「象と鯨図屏風」、蕪村の「山水図屏風」はなぜか、通期展示だったのはラッキー。
蕪村の鳶・鴉図などは展示会のポスターにしたくらいのメインヴィジアル、看板、目玉絵?なのに観られぬとは残念至極。

やはり蕪村の三横物、山水画、俳画は実物を観て素晴らしさに感激。若冲も決して悪くはないが、自分の中では蕪村が好きである。「学問は尻から抜けるほたるかな」などは何とも言えず、見飽きない。
若冲も派手な色彩の鶏や鶴のイメージだけだったが、とぼけたユーモア溢れる絵もあるのだと知って、これからは、少し見方が変わる予感もする。蕪村には国宝、重要文化財、重要美術品があるが、若冲にはない。この文化財指定は、少しく変ではないかと思う。

展示物が素晴らしいものばかりでため息ばかりが出た。
この種の展示会は何かと難しいのだと容易にわかり、企画者の苦労がしのばれるが、些細なことながら、老アマチュアにとってはガラスの中の絵の番号が小さいのが見にくくてこたえた。てもとのリストと付き合わせるのが、会場が暗いこともあって難儀である。まぁ若い人には世迷い言であるが。

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