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小林清親展ー練馬区立美術館にて [絵]


今年、2015年は小林清親没後100年で静岡市立美術館と練馬区立美術館、太田記念美術館が特別記念展を開催しているという。
いずれも行ったことがない美術館だが、練馬区美術館なら自宅から近い。散歩のつもりで出かけた。
鷺ノ宮駅からバスで中村橋まで5、6分、バス停から歩いて3分ほど、家から30分もかからない。ちひろ美術館も近いが、我が家から最も近い美術館である。
行ってみると、区立図書館の2、3階にあってこれが予想外の立派なミュージアムだったので驚いた。最近、前庭が緑地として整備され幻想動物園なるものになっていた。今年は開館30周年とか、小林清親展はその記念展でもあった。

小林 清親(こばやし きよちか)は、弘化4年( 1847 )生まれの、版画家、浮世絵師。
月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵の三傑の一人に数えられ、しばしば「最後の浮世絵師」、「明治の広重」と評される。大正4年(1915)68歳で没。幕府軍兵士として戦い、維新後、画家として活躍した。

以前から光線画なるものが気になっていたが、「紙に描いた水彩画風の絵」と思っていた。木版画、浮世絵だと初めて知る。いつもながら無知が恥ずかしい。

かつて、このブログで北斎の愛娘で浮世絵師の葛飾応為のことを、書いたときに小林清親の光線画は、思いつきで応為の水彩画風浮世絵に触発されたのではないかと、下記のように筆を走らせたことがある。
「浮世絵ながら、応為独特の画風は後の小林清親などに引き継がれて行ったのではないかとも思う。小林は「最後の浮世絵師」とか「明治の広重」と呼ばれたが、「光線画」といわれる西洋画の影響を受けた水彩画風の絵を描いたことで知られる。まるで応為の絵に触発されているようだと言ったら、専門家に笑われるだろうか。」

葛飾応為の水彩画風浮世絵
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-09-09

光線画は西洋画の技法を取り入れた浮世絵だが、最大のポイントは光と影であろう。応為は西洋画を見ているし顧客としてのヨーロッパ人の好みや要望を知って浮世絵を描いていたから独特の浮世絵を描いた。清親はそれを見たであろう。


小林清親の弟子に同じく光線画を描いた井上安治、ポンチ絵や戦争画を描いた田口米作、詩人として知られる金子光晴、30年間に渡って師事した土屋光逸らがいる。

浮世絵の歴史は、清親の死によって終わったとも言われる。が、いや、「昭和の広重」と呼ばれる浮世絵師川瀬巴水(1883-1957)こそ最後の浮世絵師という説もある。
アップル社の創始者の一人スティーブ ・ジョブズが、両人の絵を蒐集したとしても話題にもなった。

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さて、小林清親展のことである。
もちろん光線画やポンチ絵、肉筆画などが主役だが、水彩画も20枚以上が一コーナーを占め陳列されていた。
清親の水彩は、抑制の効いた画という印象である。夜や火事を描いた光線画、百撰百笑などに見られる激しさがない。カラー用紙に水彩を描いたようにも見えたが、そうではないかも知れぬ。
展示されていた「鳩、雀、りんご、みかん 」(1897 M30)のポストカードがあったので、記念に帰りに買い求めた。

一番驚いたのは、メインヴィジュアルの光線画、肉筆画、ポンチ絵、若干の水彩画などより、ガラスケースに展示されていた清隆の9冊の写生帖(スケッチブック M11-T2 1878-19 個人蔵)の水彩画である。9冊は14.0×22.3cmの小さなものだが、現場で描いたのであろう風景が生き生きと描かれていた。また、もう一冊は明治41-2年のもので(9×12cm渡邉木版美術画舗蔵)夕陽のページが開かれている。 飾られている水彩画より、この10冊の写生帖方が素晴らしいのでは、と感じ入って、キャプションを思わずメモした。こう書いてあった。

「写生帖とはいえ彩色された図も柄も多く水彩画として完成度は非常に高い。明治10年代の段階でこれだけの水彩画の技術をもった画は稀有で、どこで、誰に学んだか気になるところである。」

清親はチャールズ・ワーグマン(1859来日)に西洋画を学ぶべく、1874年27歳のとき師事しようと訪ねたという。入門はならなかったようだが、おそらく、そのときになんらかの接触はあったのでは?というのが、素人(自分のことである)の考えである。後にパンチ画に夢中になったのも、それを確信させるように思えるが、如何なものか。

水彩画の先駆者の一人、浅井忠(1856-1907M40)が工部美術学校に入学、西洋画を学び、特に工部大学校(後の東大工学部)でお雇い外国人教師アントニオ・フォンタネージの薫陶を受けたのは、1876年(明治9年)である。代表作のひとつ水彩画「グレーの森」は、1901年(明治34)の制作。
小林清親の水彩のレベルは、この浅井忠の水彩と比べても、ひけをとらず高いと思う。写生帖のまま続けていたら、水彩画でも一家をなしたであろうと想像する。

浅井 忠の水彩画ーゆめさめみれば
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-12-22

image-20150520120834.png

ところで、話題がかわるが、小林清親の「開化之東京 両国橋之図」は、米国人で主に英国ロンドンで活躍した画家、ジェームス・アボット・マクニール・ホイッスラーの代表作の一つ「青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ」(1872-75油彩)と酷似していて、ヨーロッパにおけるジャポニスムの話題のときに引き合いにしばしば出される。
この「両国橋之図」は、制作年が不明だが、ホイッスラーの「ノクターン」が描かれたのは1972-75年だから、おそらく、清親がホイッスラーの画を見て描いた可能性の方が高いような気がする。
ホイッスラーは、「ノクターン(夜想曲)」を歌川広重の「名所江戸百景 京橋竹がし」(1856-8)の影響を受けたのだ、と見る説の方が自然である。真相は分かっていないようだが、三人の画は、ロンドンのテームズ川の橋、 隅田川の橋、京橋竹河岸、見比べるとそれぞれに面白いし、東西の画家が惹かれあった事実が何やら楽しい。

ホイッスラーの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-04-11

帰りにふと見ると野見山暁治受勲記念と称して、小部屋で画家の画が何枚か展示されていた。2014年の文化勲章受章記念か。収蔵品だろうか、グヮッシュもあっておまけが見られて大満足である。
朝九時半に出て、午前中には帰宅してお昼を食べるという余裕。練馬区立美術館は、何より近いのが良かった。

野見山暁治の水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-03-11

またまた、余計なことながら当美術館は入館料800円(65〜74歳600円)。75歳以上無料とある。無料は、めずらしく感謝すべきだが、寂しい気もするのではないか。100円でもとる方が老人のためになる。


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