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ルノアールの水彩画とパステル画2/2(終) [絵]


幸福の画家と異名を持つ、ルノアールの絵はふくよかな女性の肌色が、何と言っても独特である。特に油彩においては、あくなき技法追求で得たものであり、たぶん誰も同じ色合いは出せないであろう。
しかし、ルノアールの人物画は、頭像、胸像、半身像、全身像いずれも構図がピシャリとキマっていて、堅固だいうのも誰でも認めている。こちらもアマチュア(自分のことだ)には、とても真似はできないが、大変参考にはなる。顔、手、足が四角の中に収まり、自然で観る者に違和感を与えない。
幸福の画家とは、この世にあまたある不幸や醜いもの、美しくはないものは描きたくないという、画家の思いが絵に現れるからつけられた異名であろう。また、輝く肌と光に満ちた微笑みの絵を観るものが幸福感に満たされるからでもあろう。
苦悩や哀しみから描かれた絵も人を魅了するが、歓喜や生きる喜びを描いた絵も人を惹きつける。ルノアールのように、長い生涯にわたって幸福感溢れる絵を描いた画家は稀有という気もする。

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「A Girl 少女 」(1885-90 パステル)手にするのは オレンジか。
「青い眼の若い少女の肖像 」(1887 パステル )ブリヂストン美術館で実物を見た。実物の方が良いのは当たり前、画像になるときつい印象になる。
「Head of young girl in Profile」( 1890 )肩が少し変。
「風呂のあとで 」(1890 パステル )靴下を履いているポーズ。いかにもパステルらしいトーン。
「The Bather 浴女 」(1894 パステル )右向き一人。
「The Bathing 」(1894 パステル )左にヌード、右に赤いリボンの帽子の女性。
「ベルト・モリゾとその娘ジュリー・マネ 」(Date unknown パステル)同じ構図の油彩があるのでその下絵だろう。モリゾはクロード・マネの弟と結婚したので娘にマネの名が入っている。
「若い少女の肖像 」(Date unknownパステル)青い眼の少女より、こちらの方が好きだ。
「二人の姉妹 」(Date unknownパステル)お揃いの洋服が良い。

以上は、ネット画集でパステルと明記されたもの。ネット画集ではパステルと記してなかったり、油彩とするものの一見してパステルだろうと思うものが、たくさんあったので少し並べてみた。

なお、油彩は溶き油のうち揮発性油ペトロールかテレピンを多めに使い、水彩画のようにた描くことも出来る。エッサンス(油彩素描)と言うそう。英語ではオイル オン ペーパー。もし油彩とすれば、エッサンスに近いようにも見えるが、タッチはパステルかクレヨンにより似ている気がする。
正確なところは不明ながら、パステルとしてみて、上掲のものと同じくアマチュアにとって参考になる点では変わりはない。

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「エレン・ アンドリー 」(1879)パステルに見えるが。
「座る女性 」(1879)
「The Loge 」(1879)
「Paul Cezanne 」(1880)ルノアール39歳、セザンヌは1839年生まれだから41歳。ほぼ同年代だった。パステルかクレヨンのように見えるのだが。
「Woman in a Straw Hat 麦わら帽子の女性 」(1880 )oil とあるがパステルでは?と思う。
「Woman with a Straw Hat 麦わら帽子の女性 」(1880 oil)これは油彩とある。比較のため並べた。
「Young Woman at Her Toilet 化粧室の若い女性 」(1885 oil )パステルでは? 下の絵のための素描か。
「Nude Fixing Her Hair 」(1885 oil)これは油彩。
「The Braid (Suzana Valadon)髪結い(シュザンヌ ヴァラドン)」(1884-6 oil )これは油彩。
「Nude(Study for The Large Bathers) 」(1886-7)三人の浴女たちの一番右の裸婦。茶色のカラー用紙にパステルだろうと見るのは、素人考えか。それにしても肌の色はどうして出すのか。油彩だろうか。

アンリ・マティスやナビ派のピエール・ボナールらはルノアールを崇敬しその影響を受けた。ルノアールを信奉した日本の画家の代表には梅原龍三郎がいる。およそみな画風は異なるが、絵は美しくなければならぬというルノアールにひかれたのであろうか。
ルノアールのパステル画もたしかに美しい。人物の肌、衣裳、背景などに、パステルの色の美しさがいかんなく発揮されているようにも見える。油彩画では、そのパステルの色の美しさを、油彩で表現しようとしているかのようにも見える。

さて、ルノアールの晩年の作品の量には驚くべきものがある。1910年以降、70歳を過ぎてからも裸婦の絵を中心に夥しい数の絵を残している。没年1919年、その前年の作品も多く 、とても眼を病んでいた老画家とは思えない程の量産ぶりだ。年老いて水彩やパステルが増えたかというと、それも無さそう。
最晩年の「浴女たち」( 1918 油彩 オルセー美術館)は、ルノアールの集大成と言われた作品だが、亡くなる1年前のものである。
これを見て、最後まで女性美を追求した巨匠の絵の良さ、素晴らしさをもっと分かりたいと思うのだが、いかんせん審美眼も不足しているらしい。もう少し深い勉強が必要のようだ。

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