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模写1 ピカソの水彩ほか [絵]

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この頃、思い立って巨匠の水彩画などを模写したら、何か得るものがありはしないかと考え試行してみている。75歳の水彩手習いも、どうしてなかなかたいへんである。
昔から画学生が美術館に通い名画の模写をしたという。いまでもそういう勉強法はあるのだろうか。
自分の場合は、名画の画像写真をiPadを見て描くのだから、原画を模写するのとはだいぶ趣きが異なる。模写ではないのかもしれない。

ウキペディアによれば、
模写( reproduce)は、美術において、他者の作品を忠実に再現し、あるいはその作風を写し取ることでその作者の意図を体感・理解する為の手段、方法。ただ単にその作品をそっくりに複製する( copy)手法は「転写」であり、「模写」ではないとされる。
模写は「上げ写し」や「敷き写し」などの技法で原資料から図像を写し取り、色見本を作成した上で彩色・裏彩色を施して制作される。
などとある。

水彩でもトレーシング法というのがある。写真からトレーシングペーパーなどを使って転写し、彩色するがやはり仕上がりは面白みに欠けるような気がする。

写真を見て描くのは、練習方法としてカルチャーでも家でもよくやるが、あくまで練習としてである。この場合でも、自分で撮影した写真の方が描く気が起きるし描いていても面白い。孫や猫など動いていて、とてもスケッチできないものはもっぱらこれに頼らざるを得ない。

実物を写生するのが、なんといっても楽しいし面白いが、いかんせん体力が問題である。風景画も不本意ながら写真を見て描くことが多い。

閑話休題。やってみると、巨匠の作品の模写は難しい。まだ始めたばかりだが、「作者の意図を体感・理解する」にはほど遠い。まず構図や対象のかたちを真似るのに苦労する。線ももちろんやっかいだ。極め付けはやはり色彩である。こんな色はどうやって出すのかという感じ。まねぶのも楽ではない。

水彩はとくに水の量によって、濃淡が異なるだけでなく滲み、ぼかしのぐあいも変わるし、偶然のなせるわざというのもある。油彩の模写とは、またひと味違うかもしれない。

いまのところ、藤田嗣治、ピカソ、シャガールとオスカー・ココシュカ。いずれも没後50年(戦時加算を入れれば60年余)を経過していないので、著作権が保護されているから元絵を並べて比較出来ないのは幸というか不幸というべきか。

元の絵に近づけようとせず、独自性を持たせるやり方もあるかも知れない。例えばピカソ「ゲルニカ」より、とかいった感じ。あるいは油彩を水彩で描いてみるとか。絵の練習方法としては、アリかも、と考えたりしている。

もう少し続けて見ようと思う。

以下は例によって脱線。

いま、まさにエンブレム問題でたいへんだが、似ているだけか、パクリか、盗作かなどの議論もお金が絡むと一気に疎ましくなる。創作とはやっかいなものだ。

よってこれは避けて俳句の話。同じ様な話でもこちらの方がはるかに品がある。

俳句には類句問題というのがある。17文字の短詩型だけに似た句ができるのは、致し方ないところだとされている。盗用というより、特に自分の様なアマチュアの初心者は無意識下で同じ様な句を詠んでしまうこともある。

半知半解ながら「もじり」などというものもある。短歌だけでなく俳句にも「本歌どり」というものまであるそうで、少し話がややこしくなる。

たまたま塚本 邦雄著「百句燦燦 現代俳諧頌」(講談社文芸文庫)を読んでいたら

鷹羽狩行の句 みちのくの星入り氷柱吾に呉よ が

中村草田男作 梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ を意識して詠まれ、草田男の元歌より優れていると書いてあった。

絵画の模写では本物より良くなるという心配は、まずなかろう。しかし、贋作問題やパロディ問題というのもあってこれまたこれで悩ましい。

実際模写をやって画家のメモやサインなどを入れると何やら本物らしくなるが、贋作めいてもくる。絵の練習でやっているのだから、サインや画賛などは入れない方が正しいのであろう。


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