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佐野洋子の随筆 「死ぬ気まんまん」など [本]


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佐野洋子の随筆は何冊か読んでいる。
「覚えていない」(新潮文庫 )「嘘ばっか」(マガジンハウス)「シズコさん」(新潮文庫)「問題があります」(筑摩書房)などなど。
最近(26.5.24)も「死ぬ気まんまん」(光文社)、「ほんとのこと言えば? 佐野洋子対談集」 (河出書房新社 )などを読んだ。愛読者というほどでは無いが、読むほうであろう。
本を読みながら、画家である著者の絵をいつも頭に浮かべる。文章家で絵の上手い人を敬愛する傾向のある自分の特徴かもしれないと思う。

佐野洋子は、1938年北京生まれ。自分より2歳上。自分と同時代を生きた女性ということになる。残念なことに2010年、72歳で亡くなった。画家であるが、絵本作家としても知られる。代表作は「100万回生きた猫」。
これを読んだことが無かったので、図書館で借りてきた。ついでに借りた随筆は、4冊。いずれも文庫版。「ふつうがえらい」(新潮社 )、「がんばりません」(新潮社)、「死ぬ気まんまん」(光文社)、「役にたたない日々」(朝日新聞出版)。2度目となる「死ぬ気まんまん」は、最近読んだのに忘れていてまた借りた、よくあることだがご愛敬、また読む。
「死ぬ気まんまん」は「役に立たない日々」とともに、がんになりあと2年の余命と宣告されてからのことなどを書いたものだが、これまでのものとやはりおもむきが違いモーレツというか強烈。これと比較すれば若い時のエッセイの力のあること、若いというのは凄いなと思う。
今回、詩人の谷川俊太郎と一時結婚生活(6年間とか)をしたことを知って驚いた。詩人など認めぬ現実家と思っていたのに。男女の仲だけは分からぬ。

彼女の随筆は、言いたいこと、書くことはストレート、女山本夏彦といったところ。本当の事が書かれているので、舌鋒にたじろぐことが多いが、時に男と違って女とはこういうものかと思わされることもある。
たとえば、女史の男の子に対する特別な思い、女の子はいないので自分の母の行動を思い出して女の子に対する母親の思いとの違いを吐露する。女親は男の子の方が断然可愛いのだと言う。
自分は女親と娘との関係は、息子は大人になっても母のところに寄りつかないが、娘は母と行動を共にするので、つながりは男の子より強いと思っていた。どうもそう単純なものでも無いのかと思い始めた。
世の中分からぬことが多いな、と彼女のエッセイを読みながら思う。彼女の言うことはたいていのことは、さもありなんと頷くことが多いのだが。

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彼女の亡くなったあと、発見された原稿をもとに「私の息子はサルだった」(新潮文庫2015)が刊行されたので、さっそく借りて読んだ。エッセイのような、童話のような不思議な本である。ご子息(絵本作家廣瀬 弦氏)の「あとがき(にかえて)」も同じくらい不思議なものだった。
母と子、父と子、母娘、父と娘もみなそれぞれの立場でお互い理解出来ることもあるが、 出来ないこともありその関係は多様かつ個性的で不思議、と言うしかないとしみじみ思う。
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