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那須烏山の記(一) 五十六年ぶりのからこう(烏高) [随想]



栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)はわが疎開先である。母の実家への縁故疎開で3歳から高校3年まで暮らしたから、まさにわが故郷、故園である。
東北線宇都宮駅から「銀河鉄道999」の烏山線に乗り換えて1時間、終点が烏山駅。
母の実家は駅から、さらに東へ6キロあまり八溝山地にある(旧境村)横枕という小部落。ひなびて静かな山間の地である。

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わが母校は那須烏山市の中心にある栃木県立烏山高校。通称「からこう」。明治40年(1907)、篤志家により創立された私立烏山学館を源流に持つ男子高校だった。ごく最近、2010年3月をもって県立烏山女子高校と統合して遅ればせながらも、男女共学となっている。平成19年(2007)創立100周年を迎えて、今年108年の歴史を持つが、全国的にみれば、高校としてそう古くはない。
栃木県の高校では何と言っても宇都宮高校が名門校。通称「うたか」。横枕からでは烏山町まで一時間、そこからさらに汽車(烏山線)に一時間も乗らないと通学出来なかった。「うたか」は前身が栃木中学。創立は 明治12年(1879)年だから「からこう」より、28年も古い。

ちなみに、わが国で最古の高校はと調べてみたら、なんと1566年(弘治2年)に日蓮宗の僧侶養成機関「善学院」として開学したという現 身延山高等学校という。

我が高校時代は、男子校の時代で昭和31年(1956)から34年(1959)3月までの3年間。16歳から18歳まさに多感な年頃だったのに、あまりこれといった思い出がない。当時は普通科3組と商業科があり生徒は200名余。当時は中、高生が金の卵ともてはやされ卒業して東京に就職したものも多かった。

先日同級会があったので初めて参加した。参加者40名、全体の五分の一。東京23区からの参加は自分だけだったようだ。幹事の話では、4,5年前に開催したこともあって今回参加は少ないが、一番の理由は女性がいないことだとぼやいていた。が、実際には何より高齢化が主因であろう。
どうしても会いたかった友の一人は腰痛の手術後で欠席、もう一人は亡くなったと教えられ絶句した。
56年振りに会った学友達は、時間が経ってもなかなか思い出せないほどお互い変わってしまっていた。税理士など現役は少数派で、悠遊自適風の良いおじいさんだが、元気にゴルフ、テニスを続けている人も多い。クラス会はゴルフ場のクラブ。翌朝ゴルフを楽しもうという趣向だ。

翌日、当方ゴルフは7、8年前にやめているので、小、中、高と一緒だった親友のS君の車に乗せて貰い、卒業以来56年ぶりで母校を訪ねた。
建物は殆ど変わっていて、わずかに体育館と自転車置き場が何となく記憶と似通っていた。片道6キロ余、自転車通学だったのである。
2年生まで籍を置いた空手部で練習をした校庭の一角から那珂川が見えたのだが、堤防の木が大きくなってしまい清流は見えなかった。

校訓は至誠、不屈、礼儀、協同。当時は何も考えなかったが、今思うとこのうちの「協同」は珍しいのではないか。それともそういう時代だったのか。

この母校のことは、一度だけこのブログで書いたことがある。渾名がチョーさんという先生の生物授業の話である。

関連記事 「個体発生は系統発生を繰り返すか」
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-02-24

田舎のこと、さしたる受験勉強もせず、ぼんやり過ごした3年間だったが、それなりに幾つかのことを学び、卒業後56年間考え続けるような事柄も一つか二つはあったのである。有難いことと感謝せねばならない。

次回は蛇姫様と夜半亭のことを。
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