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那須烏山の記(三) 東力士の洞窟酒 [随想]



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那須烏山市には、嘉永2年(1849)創業の島崎酒造がある。銘柄は「東力士」である。都府県どこもそうだが、かつては村落ごとに農協があったのと同じように酒蔵があった。四季醸造と工場生産で多くは消えてしまって、烏山でも一軒だけのよう。
http://www.timecapsule.azumarikishi.co.jp/kodawari.html
現役の時、大阪勤務で社長に色々教えて頂いた灘の「菊正宗酒造」は万治2年(1659)創業、これまた会長さんにたいへんお世話になった京都伏見の「月桂冠」は寛永14年(1637)創業。それぞれ350年以上。
かつて赴任した新潟県には三百弱の農協があったが、酒造会社もそれほどまではなくても、それに近い数があったと思われる。(ちなみに新潟県の現在の農協数は25、酒蔵は全国一で92という)。
新潟地方では銘酒久保田で有名な長岡市「朝日酒造」が天保元年(1830)だから、烏山の東力士は地酒としては古い方であろうか。

先日五十六年ぶりの烏高同級会出席の折、できたらこの島崎酒造に立ち寄って二級酒を手に入れたいと思っていた。特級酒より美味いと聞いたので、だいぶ前にネットで買おうとしたのだが、うまく買えなかったのである。

ところで島崎酒造は洞窟酒という熟成酒を売り出している。こちらは本醸造、吟醸、大吟醸など高級酒である。残念ながらまだ呑んだことはない。
太平洋戦争末期、陸軍は戦車工場を烏山町の地下に作ったが、殆ど利用しないうちに終戦になり放置された。東力士は、この地下壕で日本酒を熟成しようと1970年(昭和45)に始めたという。1980年代から商品化、それが洞窟酒というブランドである。

級友に車で連れて行ってもらい入り口まで行ってみると、残念、定休日だった。
二級酒を買うため本店に行くと、親切にも特別に見せてくれるというので案内してもらうことに。ふるさとの人は優しい、ついてもいた。
洞窟は凝灰質砂岩なので、爆薬を使わない「素掘り」という、全長600m。
町おこしでコンサートなども開催されるというから、広いスペースのところもある。
清酒のオーナー制度もあって、棚にずらりと横になって並んでいた。みな誕生日やお祝いのメッセージが付いている。一番古いヴィンテージものは二十年ものという。
洞窟は、かつて仏ブルゴーニュで案内してもらって見た、ワインケラーそのものの風情だった。
むかし清酒は新しいものほど美味しい「生鮮食品」だと教えてもらったが、熟成して美味しくもなるのだという。もちろん熟成管理技術が必要だが。
ワインもヌーボーあり、年代物ありだからと納得する。
それにしてももう少し明るいネーミングの方が売れるような気もするが、硬い頭では良い名前が思いつかぬ。

規模は比較にならないが、宇都宮市の近郊に大谷石の採掘場跡がある。昔修学旅行でも行ったような気がする。外には大谷観音がそびえているが、地下はまさに池底神殿のようである。結婚式やライブにも活用されているようだ。年間を通じて8度ほどの温度に保たれているので、政府米の備蓄保管でも知られるが、ワインや清酒の熟成などにも使われているのだろうか。

宅急便で送った二級酒は、家でじっくり味わったが思ったより甘口だった。昔の山、川を思い、友達の顔が浮かぶ、ふるさとの味がしてすこぶる結構であった。
次は洞窟酒 、ブランド「熟露枯」(UROKO)を試して、終戦間近に烏山にも掘られた地下壕工場 に想いを馳せ、不戦を祈らねばなるまい。

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