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岸田秀再読 その13「官僚病の起源」1997 [本]

 岸田秀 官僚病の起源 新書館 1997

 

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 著者は次のように言う。

 官僚病の起源は自閉的共同体の病であり、その特徴は以下のとおり五点だ。その対策としては、共同化防止策(天下り禁止、採用試験の改革など)がとられているが、部分的効果しかなく、病は綿々と続いている。

 

 ①仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体。

 ②国、国民のために役立っているつもり。

 ③非メンバーに対して無関心、冷酷無情。メンバーには優しく人情深い。

 ④身内の恥を外に出さない、失敗は隠蔽し、責任者を明らかにしない。

 ⑤同じような失敗が繰り返される。

 

 「国家が国際関係から逃亡し、天孫降臨したという嘘から出発した結果、歴史的必然として日本において形成される、あらゆる集団は自閉的共同体となる傾向をもつ。幼いときに、親との関係において初めて形成された、自我の形が当人の自我の基本的な形として、後々まで続くのと同じである。p34」

「かつては軍部官僚の掲げる軍事大国の目標に、戦後は経済関係の官僚の掲げる経済大国の目標に共鳴したのも、国民の側にそういう動機があってのことであり、国民の責任も決して小さくない。p77」「官僚に引きずられないため、引きずらないために国民自身が外的自己と内的自己に分裂していることを自覚すべきだ。」

 

・官僚(軍部、経済とも)のみならず、国民も責任があるというのは、そのとおりで違和感は無い。自分は皇紀2600年生まれだが、同級生に紀と絋の字のつく名前の子が大勢いた。

紀史郎、紀一、紘一郎、紀之君等々。中には日独伊(ひとい)君とか、紀六(きわ)君いうのまでいた。当時の地方の庶民の親達まで盛り上がっていたことを示している。

 

歴史を精神分析する

「古代(4世紀頃からしてしばらく)において、日本が朝鮮のある国(百済)の植民地で、大和朝廷はその派出機関であったと考えた方が正しいと思われるが、日本が成立したときに、日本人はこの事実をひっくり返し、あたかも日本が任那に日本府を設け百済を支配していたかのように信じてしまい、その後6世紀に朝鮮のある国(新羅)によって任那から追っ払われたとした。任那回復のため新羅を征討しようとした聖徳太子。朝鮮に出兵して白村江で唐・新羅連合軍と戦った天智天皇、文禄・慶長の役で朝鮮を侵略した豊臣秀吉、征韓論を唱えた西郷隆盛、など朝鮮は失われたかつての領土であるというひっくり返した思いがあるのではないか。p89」

 

・日本人にとって、大和朝廷が百済の派出機関だったとする論は、たしかに受け入れ難い。

 日本が国として成立した時に百済の日本府はどういう位置にあったのか。自分はもう少し歴史を学び直す必要がある。そうしないと「朝鮮をかつての領土であるとして失地回復する」という感覚になれない。

 

なぜアメリカは原爆投下を謝罪しないか

「原爆投下を謝罪する事は、他民族を不必要に大虐殺したことを認めることであり、それを認めれば、アメリカ先住民を不必要に大虐殺したことを認めざるをえなくなり、それを認めれば、アメリカ国家は、不正の上に成り立っていることを認めざるをえなくなり、それを認めれば正義の国であると言う原則に基づいているアメリカ国家が崩壊するのである。」

 

・この議論によれば、アメリカ国家が崩壊しない限り、日本に謝罪することはない。「日本がアメリカを赦す日」を読む必要がありそう。

 

なぜシラクは核実験を止めようとしないか

「要するに、シラク大統領が核実験を強行したがるのは心理的理由からでしかない。フランス国民は強い独裁的な大統領が好きなのである。人気の不安定なシラクにとって核実験再開は自分がドゴールと同じような強い大統領であることを示す必要不可欠な行事なのである。」

 

・フランス国民はナポレオンが大好きということからみても説得力がある。

 

近代日本は一貫して植民地である

「日本人の多くは、サンフランシスコ講話条約が発効した1952年にアメリカ軍の日本占領は終結したと思っている。しかしこれもまた自己欺瞞であって、日米安保条約によってアメリカの占領は事実上続いており、日本人の多くがそれを占領と思っていないだけのことである。」

 

・対米従属、米軍基地、地位協定等々。この考えをもとにして「日本がアメリカを赦す日2001」が書かれたのだろう。

 

英会話という病気

「抑圧された内的自己が英語を拒否している。心のどこかで英語の必要性を納得していない。習わされていることが屈辱なのである。この内的拒否は日本人のアイデンティティとかかわる。」

 

・自分も長らく英語を学びモノにならなかったひとりだが、内的自己が英語を拒否したのが最大の原因と言われても、少し抵抗感がある。やはり学び方が拙劣だったな、という反省の方が大きい。その証拠に英語をよく読み、喋る先輩、同僚が沢山いた。内的自己説に依れたら気持ちが楽になるのだけれど。

 

アジア・コンプレックスの起源

「日本という国が、そもそも外からの圧迫と脅威に対する反応として成立した国なのだから、近代日本が欧米の脅威にアジア諸国の中で最初に最も敏感に反応したことには何の不思議もないと言える。初めから大陸の真ん中にデンと腰を落ち着けていた中国や、征服王朝であったインドのムガール帝国や、中国の諸王朝の支配と影響のもとに常に置かれていた朝鮮や、自然の恵みの下でのんびり暮らしていた太平洋の島々の諸民族とは違うのである。p176」

 

・たしかに江戸末期、幕末期には鎖国をしていた割には、海外情報はかなり日本に入っていたのであろう。氏の言うように地政的なものが幸いしたに尽きるのかも知れない。

 

日本は百済の植民地だった

「百済が日本列島に植民地を持っており、任那には百済政府が日本列島の植民地を管理するための出張期間を置いていたのではないか。」

 

・初めの頃は、たぶんこの説が一番ありうるように思えるが、それがいつ頃まで続いたのか、歴史家の見解はどうなのだろうか。

 

あとがき

「むしろ、日本と百済とが同民族で百済と新羅は異民族だったのではないか。(同民族異民族といっても、相対的なものに過ぎないが)。このことは、言語から裏付けられるのではないか。飛鳥時代、またはそれ以前に百済人を主として、韓半島から人々がたくさん渡ってきているけれども、彼らと日本列島の人々とは言葉が通じなかったとか、通訳を使ったとかの話を全然出てこない。多分同じ言語ではなかったかと思われる。百済人が使っていた言語が当時の韓半島の人々の言語、すなわち、現在韓国語の祖語で日本列島にいた人々の当時の言語が、現在の日本語の祖語だとするとおかしなことになる。昔は同じであったとすれば、現在の韓国語と日本語とは違いすぎるのである。〜中略〜 すなわち新羅語は現代韓国語の祖語と考えられるから、それから13 、400年経った現在、日本語と韓国語は現在の英語とドイツ語のように似ていなければならないことになる。しかしそうでは無いのだから、当時の日本語と百済語は同じ言語であっても、百済語と新羅語とは別の言葉であった、言い換えれば日本と百済とは同民族で百済と新羅とは異民族であったと言う仮説は成り立つのではないか。p237」「いまや日韓関係はこじれにこじれているが、それを解きほぐすためには近代だけでなく、古代からの日韓の歴史を考慮に入れる必要がある。p239」

 

・言語アプローチはたしかに面白い。しかし、百済と日本が同民族なら、百済が日本の出先であった可能性も残ることになる。

 

読後感

 国家官僚の自閉的共同体の病いの起源について論じている。それを白村江の戦いに求めようとしていることはわかるものの凡百には、もう少し分かりやすく説明しないと分かりにくい。あとがきでも長々と朝鮮と日本語の違いに触れているように、著者もその根拠に迷いがあるようにもとれるのだ。まして自分は不勉強で白村江の戦いを理解していないのでまずい。

 

 ところで国家官僚のみならず、企業などの法人も自閉的共同体病に犯されているのでは無いかと思われる。もちろん全てが自閉的共同体病では無いが。

 法人には株式会社、組合等種々あるが社会、経済におけるウエイトは、国家官僚並かあるいはそれより大きいかも知れない。読む前は期待してしまったが、一切触れられていないのは残念だった。

 

蛇足ながら

⑴リタイア直後、2004年10月韓国観光ツアーで白村江(扶余=昔の百済)を訪ねた。高校日本史教科書の知識があるはずなのに、何も思い起こすこと無く、何の感慨も覚えず行っただけで終わった。今となれば勿体なかったと、悔恨あるのみである。

⑵2005年安曇野市穂高有明の穂高神社に行った。この時も、この神社に安曇比羅夫が祀られていることを知らず、その像も見ずに帰った。知らないことは無いことだ、と改めて知り情け無い。

 662年5月、大将軍大錦中阿曇連比羅夫(だいきんのちゅうあづみのひらぶ)は、天智天皇の命により、軍船170艘を率いて百済の王子豊璋を倭国から百済に護送し、王位につけた。阿曇氏の英雄として若宮社に祀られ、英智の神と称えられているとネットに教えて貰った。


 

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