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岸田秀再読 その14「日本がアメリカを赦す日」2001 [本]

 岸田秀 「日本がアメリカを赦す日」 毎日新聞社 2001

 

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 口語体というか講演調で書かれていて読み易い本である。この本が刊行された(21世紀明け)頃、自分はサラリーマン第二の職場に移り、自分のことばかり考えていて、かつ何かとバタバタしていたので、あまり世間のことを真面目に考えていなかったな、と反省ばかりの時期にあたる。5年前の1995年(平成7年)には、阪神淡路大震災(1月)、オウム真理教地下鉄サリン事件(3月)が起きている。そして2001年9 月11日(平成13年)、世界貿易センター同時多発テロだ。多くの人が、世紀末から新世紀の移行に臨み世界が変化する予感に襲われた時期である。しかし、サラリーマン(自分のことだ)は、あらゆるデジタル機器のチップが狂い予期せぬ事故が起きるかも知れないと、会社挙げて対策に振り回されていたのだから笑止の時でもあった。

 

 読者をときに冷笑を浮かべつつ挑発し、皮肉をまぶしたユーモアを発し、読者の疑問を先取りした反語法的な問いかけをしたり、意表をつきながらも適切な喩えを連発する一方、事象を繰り返し恋愛セックスに置き換える書き方は氏の独壇場である。

 その通りだと感心してひれ伏す人と、はなから反発する人に分かれそうだ。冷静に読めば真っ当な結論になっている場合が多いのだから、少し勿体ないような気がする。

 

 前半はあちこちで書かれたことを披瀝したもので、新しい話は見かけない(ように思う)。最後のあたりにきて面白くなる。

 

「日本の新聞の反米論調は、世間の反米感情のガス抜きでした。新聞は政府・自民党の親米的な姿勢にずっと批判的だったつもりでしょうが、それは新聞側がそう思っているだけで、そういう批判が建設的な意味を持った事はありません。ガス抜きであることがわかっているので、アメリカに対しても何の影響もありませんでした。新聞記者とか1部の知識人が気分が良かっただけで彼らの自己満足ですよ。同時に、日本の一般大衆に対しても説得力がなかったようですね。だから自民党は選挙では勝ち続けたわけで。国民は対米追随の自民党を選挙では支持し、内的自己の反米気分を新聞と、それから、何でも反対の社会党で満足させていたわけです。政府と新聞のように、自民党と社会党も、示し合わせて役割分担をしていたみたいでしたね。実際に示し合わせてなんかいなかったでしょうが…。こういう事では国として確固たる、一貫した対米態度が取れるわけがなかったですね。」

 

・当時、国民は内的自己を反米気分と新聞、社会党による政府批判で、外的自己を対米追随と選挙における自民支持で満足させていた、とは痛烈な指摘だが、考えてみれば現在もまた、あまり変わりがないのに愕然とする。むしろ今の方が無意識下に落とされ、それが見えなくなっているようだ。

 

 そして結論となる。

「少なくとも原爆について謝罪されれば、日本は将来もし仮にその能力を獲得したとしても、アメリカに原爆を落としていいとする道義的根拠を失います。そうなれば、現在は多分抑圧されて無意識の中で追いやられていると思いますが、日本に対するアメリカの大きな不安の1つが解消するでしょう。そうなれば、アメリカは無理して日本占領を続ける必要もなくなるのではないでしょうか。アメリカがさらに強く無意識へと抑圧しているインディアン・コンプレックスを意識化し、分析し、克服し、そして、日本に謝罪し、日本が内的自己と外的自己との分裂を克服し、アメリカに謝罪したとき、相互理解に基づいた、真の意味で友好的な日米関係が始まるでしょう。」

 

・アメリカが①インディアン・コンプレックスを克服し、②日本に謝罪し、日本が誇り(内的自己)と対米追従(外的自己)の分裂を克服する日こそが、「日本がアメリカを赦す日」だというのが氏の結論とすれば、その日は果たしていつになるやら。氏も整理して言ったものの、願望であることを内心思っていて、その実現に疑問を持っているのでは無いかと訝る。

 

 さらに、氏は差し出がましいことを言わせてもらえば、と前置きをして…

「インディアンコンプレックスを克服する方法は、幼児期のトラウマのために神経症になっている患者を治療する方法と同じです。インディアンに関するすべての事実の隠蔽と歪曲と正当化を止め、すべての事項事実は明るみに出し、それに直面し、それとアメリカの歴史、現在のアメリカの行動との関連を理解することです。」

 

・と提案しているが、トランプを支持する層の厚さ、遅々として進まぬ銃規制、現政権の異常なまでに頑なな対中政策などを見る限り、絶望的になる。インディアン・コンプレックスの克服はアメリカ国家の成立基盤を揺るがすことだし、日本の内的、外的自己の行き来は大和朝廷成立以来繰り返して来たーと言うのは岸田氏のかねての主張でもある。

 

 この書は精神分析学者が、歴史(現代史)を独自の観点から考察し、世に解決策までしめしたある意味稀有な本だと思う。示された解決策は両国家にとって難しそうだが、氏の個人、集団の論理からすれば、両国民つまり我々一人ひとりの手にも、ボールはあると考えねばならないのだろう。

 この書が刊行されたとき、どのような反響があったのか知らないが、20年余が経過した今、事態はより深刻化していることは残念ながら間違いないようである。この問題が途方もなく厄介な難題であることを示している。

 


 

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