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岸田秀再読 その19 「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」2007 [本]

 

岸田秀「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」新書館 2007

 

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「一神教vs多神教2002」のあとに発行された著書。ヨーロッパ文明こそ世界理念であるという現代史は、おおむねまやかしだとする岸田理論を展開している。

 

「いささかややこしいので、簡単に言うと、アメリカ人は、黒人に差別された白人の中でさらに奴隷にされて差別されたユダヤ人に差別されたキリスト教徒に差別されたピューリタンに端を発するわけで、つまり、四重の被差別のどん詰まりの民族なのである。このような歴史的背景が、その抜群の軍事力で気に入らない他民族に攻撃し虐殺し、現代世界を支配しようとしているアメリカと言う国の思想と行動を説明するのではないか、と私は考えている。先住民虐殺は四重の被差別に対する最初の報復であった。そうとでも考えなければ、先住民に対するこのような残忍さは説明がつかない。」差別が人種を生んだ。」p10

 

「差別が先で人種が後である。人類に人種が発生したのは、人類が人種にこだわっていたからであり、人種が存続するのは、こだわっているからである。

 人類は家畜である。自己を家畜化した。家畜は特殊化が特徴。人類が、人類自身の何らかの理由で人為的に特殊化された結果、成立したのが人種である。人種は住み分けした。」

 

→四重の差別とは①アフリカ黒人に差別された白人②エジプト人に差別された奴隷③ユダヤ人に差別されたキリスト教徒④キリスト教徒に差別されたピューリタンとは凄まじい説ではある。

 

 岸田氏によれば、差別された白子同士が固まり、子供を作ることを繰り返せば白子の遺伝子は劣勢でなくなる。つまり白子(アルビノ)が白人になったと考えられるという。アフリカの黒人から白人種が生まれた根拠である。古代エジプトからパレスチナへ逃亡した白人奴隷だと言っている。

 ギリシャ文明の担い手は誰か、古代ギリシャ人、古代エジプト人は黒人だったか。ヨーロッパ人にとって重大な問題。アフリカ中心主義者にとっても同じこと。それぞれの立場によって主張は異なる。さらにアーリア人とは何者か。この本の重要なテーマに岸田氏はかなりのウエイトをかけている。

 

「何といっても日本はアメリカとの戦争に負けたのだから、たとえ不満でも従うほかはなく、文句を言っても始まらないではないかということで、東京裁判史観を容認すればそれだけでは済まず、論理的筋道として、アメリカの世界支配を容認しなければならなくなるという、大きな広がりを持つ問題である。皇国史観は打ち破られ、左翼史観は滅びた現在、人類と地球に最大の災忌をもたらしているのが東京裁判史観である。」p66

 

→東京裁判史観はヨーロッパ中心史観の一環。(その批判は「黒いアテナ」のバナールの思想に相通じるという)アメリカという国を支えてきた思想、広くはヨーロッパ文明を支えてきた思想を問題視せねばならないということになってくる、というのが岸田論。東京裁判史観とヨーロッパ中心史観を結ぶ氏の着眼点に恐れ入る。

 

「ここに、非常に好都合な脱出口を提示してくれるものが現れたのである。イエスである。彼がで提示した脱出口とは戒律を厳守しなくてもいい、すなわち、内面と外面を使い分けても良いとしたことと、神の国における救いを説いたことである。」p80キリスト教成立の意味

 

→第一、二次ユダヤ戦争で、ローマ帝国に完膚なきまで痛めつけられたユダヤ教徒は、面従腹背を余儀なくされる。「天国行き」で救われるとしたイエスのキリスト教が支持を受け、後にローマ帝国の国教にまでなる。逆転、発展したのだ。

 

「キリスト教は普遍性を主張する宗教である。キリスト教徒が普遍的に清く正しく美しい正義の味方であることを自他に示すためには、穢れていて不正で醜い敵の存在が必要であるが、歴史的にはユダヤ教とはキリスト教徒にとってそういう敵の役割を演じさせられてきたのではないか。つまり、ユダヤ教キリスト教の性質のために不可欠だったのではないか。」p90

 

「私はフロイト説から度々剽窃してきており、このほか、例えば「人間は本能が壊れた動物である」という私の説も、「人間の幼児はみんな多形倒錯者である」というフロイドの説の剽窃であって、多形倒錯者というのは、要するに性本能が壊れて正常な性行動ができず、性衝動が様々な形で表現をされるということだから、私はそれを性本能だけに限らず、ちょっと広げてすべての「本能が壊れた」と言い換えたに過ぎない。」p96

 

→本能崩壊論がフロイトの剽窃とは知らなんだ。

 

「手を変え品を変え、代わる代わるいろいろなことに託(かこ)つけて飽きもせず、懲りもせず、ヨーロッパ人が他の人種より優れていると言う同じ趣旨のことを執拗に繰り返し言い続けるからには、ヨーロッパ人には、そう言わざるを得ないほどよほど強くて深い動機があるに違いない。」p138   

 

→この動機がヨーロッパ人の被差別者としての敗北感、屈辱感、劣等感。

 

「繰り返すが、大日本帝国が失敗したのは、自らを正義の味方と自惚れて、アメリカの策に嵌り、味方として必要不可欠な中国を敵に回したからであった。日本の指導者たちにはもちろんであるが、中国の指導者たちにも、かつての大日本帝国の指導者たちのように、狭量、視野狭窄、誇大妄想に陥らないように切に望みたい。」p160現代中国と大日本帝国

 

→現代中国の理念を絶対視してくれるな、という切なる願いには同調する。

 

「私に言わせれば、ギリシア文明を創始したのが黒人であろうが白人であろうが、エジプト人であろうがアーリア人であろうが、「ヨーロッパ人の文化的傲慢」を支えもしないし、崩しもしないし、それとは何の関係もない。問題は、なぜヨーロッパ人はそのような欺瞞と隠蔽に訴えてまで、文化的傲慢を維持することを必要としたかと言うことである。」p176ヨーロッパ製世界史の欺瞞

 

→この人種差別主義の心理的動機として、近代ヨーロッパ人の「劣等感」があるのではないか、個人妄想の動機としては例外なく、敗北感、屈辱感、劣等感などの自我の危機があるからであり、それは個人の場合も集団の場合も同じであるというのが岸田氏の持論だ。

 

「私にとって最も説得力があったのは、現代の合衆国やヨーロッパにおいては、「黒人の血の一滴」でも入っていれば、外見的には白人と変わらなくても「黒人」とみなされるのに対し、古代エジプト人に関しては、ヨーロッパ人が抱いている西アフリカ人のステレオタイプに一致していなければ、すなわち「白人の血の一滴」が入っていて、白人らしさが少しでもあれば「黒人」とみなされないという二重基準に対するバナールの論難である。古代エジプト人を白人にしたがる近代ヨーロッパ人の企ては崩れたと言うほかはあるまい。」p197

 

「私の仮説によると、人類が人類になる前、本能が壊れた時、人類になる前の人類は危機に瀕し、多くの部族が滅亡したが、壊れた本能の混乱した衝動をなんとか一定の枠組にはめ、秩序の回復に成功した1部の部族が生き残ったことになっている。この一定の枠組みがいわゆる文化である。この枠組みが安定していて、そこに落ち着くことができた人たちが、いわゆる「未開人」であって、この枠組みが不安定で、あれこれ欠陥があり、常に改良を迫られた人たちがいわゆる「文明人」である。「未開」文化とは安定していたため、近代ヨーロッパいう所のいわゆる「発達」や「進歩」が必要ではなかった文化である。」p219

 

→かくて「文明人」と「未開人」は逆転する。岸田理論の真骨頂というか独壇場だ。結果は未開人(アステカ、アメリカインディアンなど)が文明人(ヨーロッパ人)に蹂躙されるのだが。

 

「ヨーロッパの歴史には2つの主要な潮流があると言えるであろう。第一は、多神教の潮流。第二は、一神教のユダヤ=キリスト教の潮流。ヨーロッパ民族はもともと多神教徒であって、第一の潮流が太古の昔からのヨーロッパ本来のものであり、そこへ外来のものである一神教のユダヤ=キリスト教が覆いかぶさってきて第二の潮流となったのである。p263(中略)第一の潮流と、第二の潮流との最初の対立抗争は、多神教のローマ帝国と一神教のイスラエルとの激突である。 第一次ユダヤ戦争、第二次ユダヤ戦争は、一神教のイスラムの完敗に終わる。ユダヤ教の一部は割礼や食物規定の戒律を捨ててローマ文明に迎合、キリスト教に姿を変えついに4世紀ローマ国教となり、多神教に勝利する。ローマ帝国はキリスト教を蛮族ゲルマン民族に押しつける。」p265

 

→このとき①ローマに迎合しローマ化しローマ市民になったーゲルマン=ラテン語系の言語、伊、仏、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語、=カトリック教徒。

②ローマになじまず反抗ーゲルマン語系 独語、蘭語、アルザス語、フラマン語、北欧語=プロテスタント教徒

に分かれたと岸田氏は言う。なるほど。

 

「アーリア神話は、キリスト教の支配を打倒しようとする、あるいは、キリスト教に取って変わる新しい世界原理をうち建てようとするゲルマン民族がよりどころにした神話だったのではないかと考えられる。中略 この怨念は、前述のルターの宗教改革に続いて、どことなくゲルマン民族至上主義の匂いがするヘーゲルの国家論、ナチズムに共鳴したハイデガーの実存哲学(非アーリア人とは日常性へと埋没している「ひとman」のこと、アーリア人とは、自覚的に死に直面する本来的な生き方をしている者のことを指していると見れば、彼の思想は非常によくわかる) を生んだと考えられるが、アーリア神話の背後にあるのも、この怨念であり、ついにはナチズムに至るのである。」p269

 

「アーリア文明がへブライ文明に押されて危機に瀕した。ドイツ人はユダヤ人が裏切ったので第一次大戦に負けたという妄想、怨念が(第二次大戦の)ヒトラーを生むと考えられるが、アーリア神話の背後にあるのがこの怨念であり、ついにはナチズムに至るのである。」p271

→ナチスのホロコーストは、これが原因とすれば「アーリア神話」をもう少し勉強しなければならないなと思う。

 

あとがき(岸田)

 「世界史は、世界人類の歩みの客観的記述でなく、一種のプロパガンダ、コマーシャルでは。

歴史家は近代ヨーロッパとアメリカの犯罪を隠蔽し正当化する宣伝マンでは。

 

 この世界史のメインイベント、すなわちインドに進出して輝かしき古代、インド文明を築いたアーリア人、聖地奪回の宗教的情熱に燃えて聖戦を戦った十字軍、中世の暗黒時代を脱して、古典文明を見事に復活させたルネッサンス、世界の海をヨーロッパの海とした勇気と冒険の大航海、罪深い人間が救われて、天国へ行ける唯一の道であるキリスト教の信仰を邪神にとらわれている世界の無知な人々に伝えるために、あらゆる危険をものともせず、世界の奥地に赴いた宣教師などの物語は、実は、根も葉もないホラ話か、誇大妄想か、あるいは粉飾をそいでみると似てもにつかぬ見苦しい事件であった。世界の野蛮な未開民族に文明を伝える責務を引き受けた、白人神の国を建設する使命を帯びて新大陸に渡ったピルグリムファーザーズ。横暴な支配階級に騙されていた貧しい民衆が自由と平等とも愛を求めて放棄したフランス革命、自由民主主義の理想を世界に布教するアメリカなどまだ他にたくさんあるが、これらの物語はどうなのであろうか。」p283

 

→高校で習った世界史がことごとく瓦解する。岸田氏は世界史の教科書は、プロパガンダの手先、宣伝マンの手先に堕したとまで言う。歴史は見方を変えれば善も悪となり、悪もしばしば善になることもある。歴史は時の政権が都合の良いように改ざんするから、このことは心しなければなるまい。司馬遷の史記は極力それを避けたと、習った覚えがあるけれどどうなのだろうか。文化、歴史は幻想であるとする岸田理論が重みを増す。

 

 読後感

 黒いアテナに相当のスペースを割いていて、その重要性は理解できるものの、内容は基礎知識の貧しい自分には、ちと難解。ヨーロッパ製世界史のどこが嘘で理由はこうと、簡明に仮説を示してくれる方が有り難い。とするのは、勝手な都合の良い願いか。

 

 ときおり注が章末に書かれるが、字が小さくて老人には負担である。かなり本論に書かれるべき重要なことが記述されていると思われるのだが。八つ当たり的感想。


 

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