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5マイe書斎 [マイeハウス70アーカイブ]

  

      マイ  e  書斎                  

 私の書斎へようこそ。人様に見せるような部屋ではありませんが。そこは,それeですから。ご寛恕願いまして。


短詩 最近のものはブログ アンソロジ爺「はっくしょん」でご覧ください。


 

 冷や汗駄句、駄句。連句どき。川柳まがい。これ短歌?・・・といわれても、いずれの日にかまともになることを夢見て。


俳句 HAIKU


[注記]アンソロジ爺「はっくしょん」では写真俳句で見ることが出来る。


なお、アンソロジ爺「はっくしょん」には、全ての駄句もアーカイブとして掲載している。


 


 連句RENNKU


 アンソロジ爺「はっくしょん」に全て掲載したので省略。


http://toshiro6.blog.ss-blog.jp


 


短歌TANKA


 アンソロ爺「はっくしょん」にアーカイブとして記載。


 


 エッセイ風


 人はなぜエッセイを書くのか。エッセイストとコラムニストはどう違うのか。エッセイとは、何か。よく分からないので、エッセイー風とした。風」と題して冊子(PDF)にしました。クリックすると本の形式で読めます。  


 はじめに 「誰が風を見たでしょう♪」の「かぜ」ではない。


 「ふう」である。


   もちろん「かぜ(ウインド)」と読んでもらってもいっこうにかまわない。


  2000年にマイホームページを作ったときに、俳句などのほかにエッセイのコーナーをつくった。


  曰く「人はなぜエッセイを書くのか。エッセイストとコラムニストはどう違うのか。


  エッセイとは、何か。よく分からないので、エッセイ風とした。


  エッセイとは何かという疑問は、いまもって解けずにいる。この10年間にエッセイふうの10個の駄文を書いてアップした。


  散逸しないように纏めたのがこの「風」である。 (2010年5月)


目次


はじめに                  


1この頃考えたこと ホームページについて  


2所得の話                


3ちかこおばあちゃんのこと        


4自損と他損                


5アイディンティクライシス        


6一姫二太郎              


7一姫二太郎補遺              


8一姫二太郎ホホイノホイ(ホ補遺ノ補遺)  


9サラリーマン五訓          


10W了善とW甚内安治        


あとがき


         


 1この顷考えたこと ホームページについて


 インターネットとは、自分にとって何か。 E メールとは自分にとって何か。


  そして自分のホームページを作るということは自分にとって何の意味があるのか。 IT と自分の関わりについてどう考え敬理するのか。


 わからんうちにホームページを作った。


   ホームページは、自分の作ったこのホームページは何に一番似ているだろうか。


 そうだ。エッセイだ。


 


2所得の話 精神的所得  


 精神的所得という言葉を新聞のコラムで見た。


 曰く「ホワイトハウスには、ウォールストリートには無い精神的所得がある」例えば、行政経験とあるように、やや、所得が尐なくとも別の得るなにかといった使い方のようだ。


  私の給料は尐ないが、ゆったりした自分の時間が取れるというのは所得が高いことになる、といったら少し筋違いか。


 精神的満足は、お金に換算すると相当なものになる。


 とすれば、気の持ち様は高所得に繋がる。


 お金のことを忘れることが出来ると、高所得者と同じになれるって?。


 どこか少しし違う気もするな。


  痛みの無い時間の値打ち  痛みのある病気の時間と、健康で痛みの無い時間とでは、値打ちが違うだろう。


 健康所得なるものがあるのでは。


 実際痛みのある人は治療費も出て行くから分り易い。


拘束された時間の値打ち 拘束された時間と自分が自由に考え、行動出来る時間とでは値打ちが違うだろう。


 自由所得というものもある。


 ただ、何のための拘束か、にもよろう。


 自分のため、あるいは人のために働くのは、どう評価するか。


 


3 ちかこおばあちゃんのこと  


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 昨年(2000年12月)義母・ははを亡くした。子供たちにとっては、ちかこおばあちゃんだ。


   その義母は私を「としろうさん」と呼んだ。


  可愛い娘を横取りした憎い男だが、娘を不幸にさせられては、大変だから一応敬意を表して、というニュアンスが感じられる呼び方だった。


  自分の娘に対しては、ようちゃんとチャン付けで呼び、私に話す時はよう子さんが・・・・と呼んでいた。


 よう子さんは身体が弱いから・・・・という具合に。


  私は、としろうさんと呼ばれると「娘を不幸にしたら許しませんよ」と、声には出さないが、いつも言われていたような気がする。


   それでも、義母は、何事によらず、としろうさん、としろうさんと私をたててくれたのはあり難いことだったと思う。


 旅行が好きで、子供達がまだ小さい時にはあちこち小旅行もしたが、もっといろいろなことをしてあげれば良かったと思うと悲しく、寂しさがこみあげる。


 最後まで、身体の弱い娘を気づかって亡くなられた。


 母と娘の絆は強い。


 よう子さんの嘆きを、私が推量ることは出来ないのではないかと痛切に思う。


 


4自損と他損  


 麻雀が好きで、いつもタバコを手にしてにこにこしていた会社の一年先輩のYさん。


 日に焼けたような黒い顔で「よう!(元気か)」といつも言って私を気にしてくれていた、学校の二年先輩であり、会社の先輩でもあったKさん。


  大阪で鯨鍋を食べましょうと誘った時に「僕は、くじらより河豚の方が好きで」と無邪気に言ったHさん。 銀行の頭取になったばかりで亡くなられた。 私と同い年だった。


 「山口百恵さんが近所に住んでおられてね」と屈託の無かった農水省エリート部長だったKさんなど私の知人で自分の命を自分で絶った人を、この頃しょっちゅう思い出す。


  なぜあの人がと思った人ばかりだ。


  今でも全く理解が出来ない。


 それでしょっちゅう思い出す。


   四人の共通点は、皆大きな目を持っていた、そして優しかったこと。


 四人とも妻や子、そう、愛する家族がいたこと。


   ある人は、他人の命を軽んずる人は自分の命も軽く見て自殺をするという。


  そうではないのではないか。


 私の知人の場合は、少なくともこれには当てはまらない。


  自殺者は年間二万五千人以上(平成八年)という。


 交通事故の死者より多い。


 その理由は皆違うのだろうが、壮年で分別があった私の知人達の自損の理由は、私には今もって、わからぬ。


 優秀な彼らに八方塞がりで出口が無くて、などとはとても考えられない。


   ただ、皆何かに絶望したのだろうと言うことは想像がつく。


 信頼していた人あるいは確信をもっていた物事に絶望して、しかも何らかの理由で自分をコントロール出来なくなって・・・・。


 とくに自分が一生かけて作り上げてきた信念のようなものが、何らかの理由で崩れてしまった時。


 あくまで推量に過ぎないのだが。


   自損行為と他損行為は表裏一体と言う。


  もしそうだとすると、殺したくなるほど憎んでいた人がいて、優しさの故で他人を殺せず自分を殺める。


 エネルギーは、自損の方が他損より少なくてすむのか。


  これは分かるような気がする。


  とくに若い子供の自損はこれが多いのではないか。単純だがいじめによる自損だ。


 私の知人の場合もこれも少なからずあてはまるかもしれないとも思う。


  なぜなら、皆優しく、しかも仕事のしがらみを持っていた。


 もし、そうだとしたらそこまで追い込んだ「状況」は、一体何か。


 「状況」の中には、人も入っているのではないのか。そうだとするとそれは他損ではないのか。


 その意味では自殺と他殺は紙一重だ。


  世の中はわからないことが多い。私にとってはわからないことの最たるもののひとつがこの自損だ。


   太宰治、川端康成、最近では江藤淳の自死。


  これもわからないが身近な四人のそれも分からぬ。


  大きな目の笑顔が忘れられず思い出すたびに辛い。(2002年3月24日)


 


 5アイディンティクライシス  


  六十歳前後で定年あるいは定年でなくても、退職して失職した元サラリーマンにとっては、働こうという意志を持ちかつ、健康であるかぎり、再就職出来ずに毎日が日曜日というのは辛いものである。


 世の中にはそういう人が随分多いし、これからは増えるばかりだろう。


   自遊人などという洒落た身分の人や、シニアボランティアなど生まれ変わった新しい生き方を見出すことの出来る人は、稀少な存在だ。


 サラリーマン時代に燃焼した人ほど、世の中から必要とされず、加えてかつての知人とも日々疎遠になっていく空虚な感覚は強烈なものがある。


 何よりも収入がなければ何も出来ないし、老後の経済的不安はじわじわと襲ってくる。


 これで終わりたくないという思いが日々募り、我と我が身を苛む。


   さて、こんな状況で自分の新しい生き方を見つけられない者にとっては、今の自分は何だろうとあらためて問い直して見ると、色々な呼び名が頭に浮かぶ。


 昔、読んだことは無いが「僕って何」という小説があった。


 その顰にならい、儂って何?と問うてみると、まず浪人。これが一番近いか。


 仕官したいが雇ってくれるところが無い。だんだん手許が不如意になる。素浪人である。


  残り少ない自らの貴重な時間でも売らねばならないと焦る。かつての地位と報酬は捨てねばならぬ。


 傘張りもいとわずの心境だ。


   隠居。


  後を継ぐ者がいる訳でもなく、禅譲すべき地位、まして資産もないので、これは全然あてはまらない。


 時折吐くべき意見もなく、その相手もいない。最後の将軍・慶喜の隠居生活を夢想するのみだ。


 優雅な楽隠居というのがあるが、孫にも恵まれず、それには程遠い。せめて隠居でなく陽居したいなどといっても強がりだけである。


   老フリーター。


 これは、かなり合っているような気がする。


  多少の年金が出るところが、逆に保険料を払わねばならぬ若きフリーターとは違うところか。


 しかし、生活基盤たる収入が尐なく不安定なのは同じながら、一番の相違は残された制限時間の長短であろう。


 だてに「老」とついている訳ではない。


   状況に一番マッチしているのは、家事手伝い人補。掃除は、からきし駄目だが、食事の準備、後片付けをする家内を手伝う。


 料理の主導権を取る能力は残念ながら無いし、いまから習得するのは至難である。


 朝、昼、晩と三度三度の食事は途方もなく大変なことで、二ノ宮尊徳が生きるとは「食うことと着ること」に尽きると言ったというが、そのとおりだ。改めてそう思う。が手伝うといっても家内はあまり楽にならない。かえって邪魔なだけだ。


 頭に半をつけるか最後に補を付けねばならぬ。いわゆる濡れ落ち葉・粗大ゴミとなっていく予備軍である。


   なんと自分を呼ぼうとも実態は変わらない。


 しかし、この宙ぶらりんな生活にも人間は徐々に慣れていくのであろうか。時間という妙薬によって。


 息の根がとまるか、あらたな生き方を見つけるまでの間の話であるが。まさに、アイディンティクライシスの状況そのもの。中年クライシスならぬ、老年クライシス。河合隼雄の読みすぎか。


こんなことをあれこれ「もの思う」ことが多くなったことが、失職した唯一の功名である。


   五十七歳で失職し一年半仕事を探して、やっと再就職した友人が明るい声で言った。


 「スポーツの秋、読書の秋を愉しんで下さい。心身の健康が第一ですよ。」と。そのとおりである。


 友は有り難い。(2003年11月)


 


 6一姫二太郎  


 若いときから、なぜ、女の子が生まれ、男の子が生まれるのか、ということに妙に関心があった。


   理学博士竹内均東大名誉教授の話では、一姫二太郎というのは最初に女の子を産んで育て、しかる後に男の子を育てると育てやすいという単なる諺だそうだ。


 また、子供は三人が良く、その構成は女の子一人、男の子二人がベストだ、いうことを言っているというのも勘違いに過ぎず、どちらも科学的ではなく、男が生まれるか女が生まれるかは自然の摂理だという。


 つまり、法則は無いと言う。


   ただ、我が国では女の子は一月から四月に多く生まれ、男の子は九月から十一月にかけて生まれるのが多いと統計では示しており、これは母体が季節を微妙に反忚して卵子の成分を調節、女子や男子の生まれる精子を卵子がひきつけつけるのだと言う。


 これでは、なぜ、どうして男の子と女の子が生まれるのか、と言う問いの答えにはなっていない。


 自然の摂理だ、で終わったのでは科学することにならないのではないか。


   男女が生まれる法則はある。


 私の説はこうだ。


 それは、偏に男親と女親との力関係である。力とは、体力、知力、気力全ての総合力である。


 男が強いと女の子が生まれる。


 女が強いと男の子が生まれる。


   若い夫婦は最初に女の子が生まれる確率が高い。未だ男が若く優位に立っているからだ。


 夫婦は一般的には男の方が年上のケースが多いが、男は二十五歳をピークに早くから力が衰える。


 あとのほうが男の子の生まれる確率が高くなる。


 一姫二太郎は決して諺だけではなく、女が先に生まれることが多いと言う意味なのだ。


 事例は沢山ある。


 見廻すと一番年上の長女は長男より多いし、末っ子は男の子が圧倒的に多い。


 淀君と秀吉の間に出来た御拾い様を見よ。淀君が、総合力において秀吉を圧倒していた証しに他ならない。


   男が先に一人生まれ、あと女の子が三人続いたとか、当てはまらない例が沢山あるという反論があろうが、それは当然である。


  男女の力関係は優れて個別であり、状況によって変化するのだ。


 また、かかあ天下の群馬県は男の子が多いかというとそれは無い。かかあ天下そのものが怪しいからだ。


 亭主関白も女の子が多いかと言うとそんなことはない。


  うわべでは男女の力の強弱は分からない。


   私の説でいうと、戦時下では、銃後を守る弱い男が多いので男の子が多く生まれ、ハーレムの王の子は男子が多い筈で、それぞれ兵を供給したり、一族を多く残す目的に叶っている。


 また、統計上九月から十一月にかけて男の子が生まれるのは当たり前だ。


 七月から九月にかけて男は忙しくて疲れ果てているのだ。


 十一月から二月は、男は暇で力が有り余っている季節である。


   私の説には前提がある。


 男と女の身体はもともと同じだったのだ。同じでは種の保存は出来ない。


 女が変化して、あとから男が出来た。もともと女の方が強く、優れているのだ。


 なぜか。


 男は誰かがいうとおり消耗品である。男は種の維持の為に必要な存在でしかない。


 女(人類)を維持できる範囲で必要なものに過ぎない。子を産むために女は常に、基本的に強いのである。


 が、女が男に対して100%強く、男ばかり生まれるのはまずい。逆に男が強く女ばかり生まれるのも良くない。


  蟻でいえば雌は女王蟻一匹で良く、あとは雄の働き蟻で良いのだが、人間の場合は半分くらい女が必要であった。


  男と女の強弱のバランスは、総体的に男女半々になるようにとられているのだ。


 本題からはそれるが、婚姻制度は人の作った諸制度のなかでは、まあ、良く出来た制度といわれる。


 理に叶っているのだ。


   昔女は人類ではないと言った剛の者、いや馬鹿がいた。男こそ人類ではないのだ。


 男女平等とかウーマンリブとかは一時の社会現象に過ぎぬ。男と女の関係のベースにある本質を見失ってはならない。


   一般的に男の身体は女性より大きい、が大きいことはそのまま強いことではない。


 知力はおそらく男女同じではないか、得て不得手はあるとしても。 気力は明らかに女の方が優れているように思う。総合力はどう見ても女性の方が上だ。


  最近は、女の子ばかり多くて男の子の数が減少気味という。


 地球環境汚染が五十%のバランスを崩しつつあるとすると、一時的な現象でなく、ことは重大である。


 


 さて、私の場合は、1940年生まれ。


 まさに戦争前夜で父は、妻子を何時疎開させるかなどを考えたりして、何かと疲れていたに違いない。


 姉と兄がいて、一姫二太郎である。私の説どおりである。


   ちなみに、我が家は男の子が三人である。


  7一姫二太郎補遺  


ある対談集を読んでいたら、東大名誉教授多田富雄氏の次のような言葉を見つけた。


 これだ!私の考えとぴったりなので、少し長くなるが発言のままを引用したい。


   「遺伝的に男と女が決まっているといいますけど、そんなことはないんです。


 それじゃどうして決まるかといいますと、どうも、もともと人間は女であって、なんとかして男という役割分担を作るという目的だけでY染色体というのがはたらくんです。


 Y染色体のほうから、女性ホルモンに変えるよう指令が出るんです。


 そうしますと、男性ができるんですね。私達はそういう存在なんです。


 無理矢理男性にさせられていますから、いろんな病気、男にだけ起こる病気、たとえば色盲とか血友病とかたくさんありますね。


 私は、女性は存在だと思いますけれども、どうも男というものは現象にすぎないんじゃないかとこのごろ思い出してきたんです。


 多田教授は、有名な「免疫の意味論」の著者である。凄い本だが、読んで見て理解できたのは二十%くらいか。


 この本は、生物学の最先端の一部を教えてくれているが、自分は何も知らないで六十余年を生きてきたということを強烈に思い知らされた。


   その教授の考えと今まで自分が考えていたこと「もともと人類は女しかいなかった」「女が変化して男になった」とがあまりに近いので嬉しくなった。


  補遺を書いた所以である。


 そして女は存在で男は現象というのも感覚的にぴったり来る。


 女はなぜ強いか、男と女の考えはなぜいつも違うか、議論は多く果てしがないが、本質はこれなのだ。


   だが、最近その教授が病に倒れた、とたまたま新聞のコラムで知った。


 一日も早い回復を祈っている。(2003年6月27日)


 


8一姫二太郎ホホイノホイ(ホ補遺ノ補遺)


 (元)生物学者で作家の竹内久美子によれば、紳士には男の子が多く生まれるという。


 経済的に余裕が出来ると女の子より男の子が生まれるという。


 この説は自分の周りをみてもあまり納得出来る事例が尐ないように思える。


   女史の説の根拠はあまりはっきりしないが、遺伝子を残すのには、男の子の方が有利という説を唱えているのでそのことと関連があるのかも知れない。


 つまり逆境の女性は無難に女の子を産み、余裕が出来ると男の子を生んで遺伝子を有利に残そうとするのだという説になる。


 私の「女が強いと男の子が生まれる」という説とは、似ている様でやや異なる。


   (元)解剖学者の養老孟司によれば遺伝子という情報は細胞というシステムで永続していくというが、いったいどういうふうにして男と女が生み分けられて、遺伝子と細胞が残っていくのか私にはまだ良く理解できない。


 養老先生は、卵子という細胞を担っているのは女性である。


 免疫学者多田富雄の言うように「女は実体で男は現象」であり、男は無理矢理女から男に(生まれる時に)させられたのであって、従って女が強いのは自明だという。


 この後段の方は良く分かるが、前段のところがわからぬ。 哺乳類は放っておくとメスになる性質があるという。


  それなら卵子という細胞がオスになれという指令を出すのか。


   とまれ、養老先生の実体が現象より強い文化は野蛮であるという説、つまり実体がロマンに優先する世界は野蛮であるとする説には賛成である。


 しかし、先生が実体たる女が現象である男より強いのが喜ばしいことか否かについての解答はない、というのは論理矛盾ではないかと思う。あるいは女が怖くて逃げたか。


   なぜ、男が生まれ、女が生まれるかに興味があるかといえば、男女は理解し合えるのか、父と娘、父と息子はどうかなど人間理解の根源のような気がするからだし、女系文化、男性優位社会など社会、文化、文明、理解の根幹のような気がするからである。


  ここまで考えれば取り敢えず良しとしてやめよう。


 ホホイノホイだ。(2003年12月日)


 


9サラリーマン五訓  


かつてサラリーマンであった頃、それも若かった頃、誰から聞いたか忘れたがサラリーマンに五訓ありと教えられた。「おいあくま」という。


 「お」は怒るな、「い」は威張るな、「あ」は焦るな、「く」はくさるな、「ま」は負けるな、だったと思う。


   高度成長期ではあったが、今と違って当時は終身雇用で転職は企業一家からの脱落を意味するだけでなく、実際にも難しい時代であった。


  従ってこの五訓はそれなりにサラリーマンの実態に即してはいたと思う。


  自分なら六つ目があるとしたら、何をつけるかなと考えたことを想い起す。


   言い換えれば、怒るなは笑えということだし、焦るなはゆったりやれ、くさるなは、朗らかに明るくいけということである。


 負けるなは勝てということになるが、勝ち組みに入れというより、むしろ負けるが勝ちというニュアンスもあって全体に謙虚な感じなのがいまとなっては好ましいような気がしないでもない。


  ところで、ふと、これは病人訓にもなるなとも思う。


 「威張るな」だけがあまりぴったりこない。


 看護婦さんに威張っているのもたまに見ないではないが、あとの四つはすべて病人の心構えになる。


    いや待てよ。


 むしろこれは病人より老人訓ではないのかという気もする。


 とすると当時のサラリーマンは病人ないし老人に近いものだったことになって、どこに共通点があるのか興味深いものがある。


   それはさておき、老人は一怒一老を戒めとして辛いことも笑いのめし、悟らずとも稲穂たらんとし、焦りは禁物、悠々自適を理想としなければならない。


 気落ちすることなくしかも閉じこもらず、どんなときでも戦う気概、気力が必要だ。


 そう考えると「おいあくま」は一級の老人訓だ。


 六つ目を加えるとすれば「よ」か「か」か。「よ」は酔うな、「か」は風邪をひくなである。


 転ぶなの「こ」もありそうだ。


 やれやれ付け加えた六つ目以下もすべて、今度はサラリーマンにも通ずるところがある。


 どうしたことか。( 2005年4月20日)


 


10w了然とw甚内安治  これは長文なのでマイe書斎Ⅲに記載した。


 


あとがき


 ときどき何か書きたいと思うことがある。


  ときどきといえ、十年間に十個の駄文とは、決して多くはない。


  書きたいと思っても実際に書くチャンスは少ないということだろう。


  書きたい中身も、書いてみれば他愛のない話しである。


  小説は虚実織り交ぜて言いたいことを表現する。随筆には、基本的には「虚」はない。


 だからこのごろ読む本も、小説は疲れるのでエッセイ、随筆の類が多い。


 しかも、老齢化にともない、老人物エッセイが多くなっている。 おのれの齢を考えれば已むをないことか。


  さて、自分の書いたものを読みなおしてみると、我ながらあまり出来は良くないと思う。


 もう少し分かりやすくかつ読みやすく、つまり優しい言葉で素直にかけば良いのに、と思う。


 まだまだ修行が足りない。(2010年4月)






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 書棚


 乱読の備忘録。読んだ本を右から左へ忘れてしまい、本屋でまた同じ本を買ってしまったりする。書いてあったことも忘れる。何のための読書か。


 1〜187 アーカイブ書斎Ⅱに記載。188〜481長いので省略した。


 


 名言、名句集( 言葉·詩・出典など)


 人は言葉でショックを受けることがある。どんな時か。自分の考えとピタリ合ったときに。また、自分の想定外のことを言われたときに。いずれにしても、ひとの言うや良し。


 


 長久寺徳瑞 大分長久寺ご住職の年賀状


心充ちた時、いつ死んでもいいと思う


心充ちた時、いつまでも生きていてもいいと思う ああそうですか、そうですねと、しみじみ味あえる歳になりました


 ありがたいことですかくて今年も歳を重ねます 如何ですか  2019年 元旦


汝、いくつになるぞ いまだに知的関心か いたずらに明かし、いたずらに暮らして一期を空しくすぎ ついに三途に沈まんか


間に合わぬぞ目を覚ませ、これぞ元旦の計ならずや 2018 元旦


絵に描いたリンゴはなぜ本物よりいいんだろう 司馬遼太郎


軒を出て狗寒月に照らされる  藤沢周平


色即是空、空即是色の訳「花びらは散る。花は散らない。 金子大栄


ながらへてあればなみだのいづるまで最上の川の春ををしまむ 茂吉


70歳を過ぎたらあの世に別荘を 梅原 


さりながら死ぬのはいつも他人 マルセル・デュシャン


他界に優遊するのを遊仙心を楽しむのを遊心 白川静 字訓


そもそものはじめは紺のかすりかな 安東次男


男は現象女は存在 多田富雄


七十歳はまだ青春 脇坂順一(元久留米医大名誉教授)


(若冲は)丹青に沈潜して三十年一日の如くなり。大典


酒債尋常行処有 人生七十古来稀 杜甫 曲江


ヨクカクレルモノハヨクイキル ルネ デカルト


長期の展望としては、意志的な楽観主義を保ちたい 大江健三郎


年老いて心ひらかにありなんを 能はぬかなや命いきむため 茂吉


日本の空気は酸素と窒素とわびしさからできている 開高 


すべての色を混ぜ合わせると玄()になり、混沌を表す。すべての光を合わ せると白色になる 玄侑宗久


人は、起こらなかったことを記憶にすることも出来る 寺山修司


老人というのは人間じゃない、超人間だと理解する 吉本隆明


年を取るにつれて男はおんなになる、 女は気がおかしくなる ラカン フランスの古典的なフロイト主義者


老いぬればとて花失せては面白きところなし 花伝書 世阿弥


真に人を愛すとは「あなたは決して死なない」ということであるガブリエル・マルセル


兜太は定住漂泊、蛇笏は定住土着 金子兜太養生訓、遠い日のこと


連句から独立した俳句は一模造真珠 山本健吉


茉莉花を拾ひたる手もまた匂ふ 楸邨


眼福や画廊を出れば春の風 晴坊


 


三つ物のなにやら嬉し年賀状 晴坊   ( 詩郎)への晴坊さんからの返歌


心新たに立ちし元朝


還暦を過ぎて始めることありて


 


 五十肩消えて弾き初めバイオリン


いよよ華やぐ老いの春なり


挙式せん山笑う頃穂高にて


 


 銀漢や水の近江はしかと秋 脇坂楚人(兵庫の人)


われ一転せば猿たらん、 われ一転せば神たらん 夏目漱石


むやみに長生きしようとするのは無益だ。長生きは天が按配してくれることだから 杉田 玄白


老身はひたすらにしていひにけり群鳥とともにはやく春来よ 斎藤茂吉


松を見るに女身見る如し春の雨 永田耕衣


 女身見るに松見る如し秋の雨 


酒やめてかはりになにかたのしめといふ 医者がつらに鼻あぐらかけり 若山牧水


年の湯にふかぶかこれが父の座か  鷹羽狩行


 My salad day s ,when I was green in jud g ement, ...シェークスピア


恥ずべきでないことは恥じるな、 恥ずべきことを恥じよ 了俊(杜詩郎父)


伊勢近し尾花が上の鰯雲 早野巴人(夜半亭


 われのなき世を穏やかに肯えり 孫の長さは九ミリにして 柳澤桂子


 これからを生きねばならぬわが孫の 悲しみに似て冬芽のかたさ


この星に孫を残した悔しさは 海に落としたダイアの指輪


露の身は露の身ながらさりながら 一茶


露ちるやむさいこの世に用なしと


 生き残り生き残りたる寒さかな 


夏帯や一途といふは美しく 真砂女


世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞ我は勝れり 良寛


道徳論を書かねばならないとすれば、わたしは上機嫌ということを義務の第一位におくだろう。アラン


はなはみないのちのかてとなりにけり森アキ子


なれゆえにこの世よかりし盆の花  森澄雄 


すみれなど咲かせやがって市役所め 変哲


これからが丸儲けぞよと姿婆遊び 一茶


どっかりと寄る浪人の年 武玉川


上燗屋へいへいとさからわず  當百


酒とろりおもむろに世ははなれゆく 川上三太郎


身の底の底に火がつく冬の酒


夜中、忽然として座す 無言にして空しくていいす 鴎外 大正6年ていいはさんずい


酒の蝋此の頃冬の寒さ哉


梅の花不肖なれども梅の花


菫程な小さきひとに生まれたし 漱石


秋の山に逢ふや白衣の人にのみ 韓国にて


風に聞け何れか先に散る木の葉明治 4343


遅き日のつもりて遠き昔哉 蕪村


あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月 明恵上人


とくとくと落つる岩間の苔清水 汲みほすほどもなきすまいかな  伝西行


人生の一番大事なのは60歳から70歳の間や。70歳から先は遊んでいてもよろしい。ところが、60 70歳の間が一番中途半端で困る。失敗すると取り返しがつかへん。なぜなら、若い時は失敗してもとり返しがつく。大和ハウス工業:石橋信夫:中坊公平の闘


 一切の 行蔵寒に あるおもひ  虚子


年年歲歲花相似,歲歲年 人不同 マイトシ花ハ似タレドモ トシゴト人ハ変ワ


劉希夷 「代悲白頭翁」白頭を悲しむ翁に 代わりて 松下緑 (


寄言全盛紅顏子 心憐半死白頭翁


()シキ乙女ニイザ言ワン白髪アタマノオトロエテ


此翁白頭真可憐伊昔紅顏美少年 見ルモ哀レナコノオキナ ムカシハコレデ美少年


公子王孫芳樹下清歌妙舞落花前 名門ノ家二生マレソダチ花散ルナカニ舞イオドル


残躯天所赦 不楽復如何 残ッタ命ハサズカリモノダ好イタコトデモシテ暮ラソ 伊達正宗松下緑()


人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにあらず、死の近()事を忘るるなり。徒然草 吉田兼好


世にすむからには何事も案じたるが 損なり 井原西鶴


覧鏡喜老 老即生多時 鏡を見て老いを喜ぶ 老いて即ち生の時多し白楽天


中部銀次郎ゴルフの心


余計なことはしない 言わない 考えない


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