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鷺宮八幡神社 [随想]

 


 


自分が42年住んでいるこの地中野区鷺宮地区白鷺は、区の北西部に位置する。北に練馬区、西に杉並区が隣接している。最寄り駅は西武新宿線鷺ノ宮駅になる。


 


この駅から歩いて二分の近くに、鷺宮八幡神社がある。西暦1000年ころ、京都から東日本統治のため派遣されていた源氏の源頼義が、東北を平定した時に建立した鷺宮八幡宮と伝わる。


昔から鷺が多く棲んでいた地なので「鷺宮」の名をつけたとされる。


 


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自分の毎年の初詣はここである。祭神 は應神天皇。


境内末社(御祭神)は次のとおりで、小なりと言えども多くの神社がそうであるように沢山の神々が集まっている。


一 六社さま 


  稲荷神社(宇迦之御魂命御嶽神社(麻知分)


  八雲須賀神社(須佐之男命北野天満神社(菅原道真公)


  粟島神社(少彦名命)疱瘡神社(大己貴命) (大黒さま)


二 稲荷神社 宇迦之御魂命


三 御嶽神社 櫛眞知命(火盗難少彦名命(長寿・平癒)


 


例大祭 は八月二十八日。例年神輿を子供達が曳いていたが、コロナでこのところお休みである。


 


源頼義は鷺宮八幡を建立した時、同時に鎌倉街道を挟んで高松八幡神社を対をなす形で建立したが、あちらは地名の高松(今の練馬区高松)の名がつけられた。建立時が鷺宮より少し後だったので、若宮八幡宮とも呼ばれる。自分はまだ参拝したことはない。


 


ネットによれば、鷺宮八幡については次のとおり記されている。


 


「鷺宮八幡神社の旧称は鷺宮大明神であり、これが地名の由来となっている。旧上鷺ノ宮村、下鷺ノ宮村の氏社であり、練馬区高松にある高松八幡神社とは鎌倉街道を挟んで対に建てられた由縁がある。


社伝によれば、1064年(康平7年)に前九年の役に勝利し東北を平定した源頼義が戦勝を感謝し、国家と源氏の安寧を願い建立したのが始まりとされる。高松八幡神社も同じ由緒であり、両社は鎌倉街道を挟んで南北に建立されている。鷺宮の方が先に建立されたので、高松の方は若宮八幡宮と呼ばれるようになった。


また1884年に編纂された「新編武蔵風土記稿」の上鷺ノ宮村の項目には、「古ハ大木数多アリテ多クノ鷺ヤドリシユヘ、土人、鷺ノ森或ハ鷺ノ宮ナドイヘリ」と記されており、その昔境内に老樹が林立し、鷺が多く棲息していたことから、近隣の里人は鷺宮大明神と称し、これが地名の由来となったとされている。」(ウキペディア)


 


建立した源頼義は河内源氏2代目、その子義家が3代目の有名な八幡太郎義家である。石清水八幡宮(京都府八幡市)で元服したので通称八幡太郎義家と呼ばれた。白川帝に仕えて武勇伝が多々ある。


余談ながら河内源氏の初代は頼義の父、源頼信、時代が下がるが源頼朝は7代目。


 


河内源氏(かわちげんじ)とは、河内国(現在の大阪府)に根拠地を置いた清和源氏のことをいう。一般的に武士で「源氏」という場合、この系統を指す。また、「平家」と称される伊勢平氏と併称される場合には源家(げんけ)という呼称も古くは用いられていた。


 


源頼義の八幡神信仰は篤く鶴岡八幡宮(鎌倉)、大宮八幡(杉並区)も彼が建立している。


 


八幡神信仰の神「八幡神」(やはたのかみ、はちまんしん)は、我が国で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。鷺宮八幡神社でいえば、隣接する白鷺山南蔵院がそれにあたる。


 


白鷺山南蔵院


 


https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2022-04-11


 


八幡神社、伏見稲荷神社によらず日本の多くの神はそれぞれの土地にあまねくおはし、現代生活の中にあっても人々の願いや祈りに応えるために存在する。鷺宮八幡神社もその一つだが、それなりに建立のエピソードがあって面白いものだとしみじみ思う。


ひとくちに寺社仏閣、神祇釈教というがお寺や神社は日常生活に必要な時に必要なと人にだけ関わるだけなのに、静かにこの国にあっって連綿と生き続けている。奥が深い。


 


蛇足ながら、上記のネットの記述は、神社境内にある立札の説明とほぼ同じだから、どちらかがどちらかを参考にしているのであろう。


参考の為重複するが立札をグーグル検索したので記録しておきたい。


 


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立札


「当社の創建は康平七年(一〇六四陸奥守源頼 義勅を奉じ、東国平定後鎌倉街道に面した当地 に社殿を建て、八幡神の御神霊を奉祀し戦勝感 謝国家安泰、源氏の隆昌を祈願したのが始めで あると伝えられる。往昔境内に老樹、林立し鷺 が多く棲んでいたので、里人は鷺宮大明神と称 し、これが地名の起因になった。正保二年(1 六四五)今川直房所領の頃、八幡神社と改称し た。慶安二年(一六四八)以降江戸幕府より御朱 印七石余を寄進せられ、中野区内に於て、御朱 印を付与された唯一の神社で崇敬厚き古社であ る。戦後宗教法人法により発足し、昭和二十五 年国有境内地三四六二(一〇四九坪)の譲与を 受け、同三十五年本殿、幣殿・拝殿五十坪余改 築、及手水舎改築、明治百年記念事業として、 同四十年御嶽神社、同四十二年稲荷神社を同社 境内に合併改築、同年神楽殿改築、参集殿新築、 石塀設置、同五十年天皇陛下御在位五十年記念、 「狛犬設置、同五十六年本殿幣殿屋根葺替え改 修、同六十三年天皇陛下御在位六十年記念事業 として、社殿改修、常夜燈設置等神社の面目新し今日に至っている。」


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