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「ザ、キャッチャー イン ザ ライ」、「グレート ギャッビー」、「ザ ロング グッドバイ」を読む [本]

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 村上春樹訳でJ.Dサリンジャー(1919〜2010 91歳没)の「The Catcher in the Rye (1951)」、スコット フィッツジュラルド(1896〜1940 44歳没)の「Great Gatsby(1925)」、レイモンド チャンドラー(1888〜1959 70 歳没)の「The Long Goodbye(1953)」3冊を続けて読んだ。20世紀のアメリカ文学に限らず外国の小説など殆ど読まないのだが、村上春樹の小説を読む延長のような感じで読む気になった。周知のように訳者はこれらの小説を高く評価しており、彼の小説に大きな影響を与えていることに疑いはない。

 「ザ、キャッチャー イン ザ ライ」は青春小説、「グレート ギャッビー」は大人の恋愛小説、「ザ ロング グッドバイ」はハードボイルドミステリーと言ってしまえば身も蓋もないが、名作の長編小説の中身と特徴を良く表していることも事実だろう。
 「キャッチャー…」は世の中をすべてインチキと感じる多感な青年が、なろうことなら遊んでいる子供が崖から落ちるのを助ける見張り役になりたいと願う。村上春樹の小説の多くに登場するセンチネル、歩哨である。崖は村上のいうセンチネルの対極にある「邪悪なもの」であろう。
 「ギャッビー…」は女を失った男、よりを戻そうとする男、格差や差別などが描かれる。これも村上春樹の小説にたびたび出てくる。女が男を犠牲にして生き残る、といった村上小説があったかどうかはおぼえていないが。
 「ロング グッドバイ…」はミステリーの古典になっているだけに読んでいて飽きない面白さだ。村上春樹のプロットなしの書き方もストーリーがミステリー風になるが、念入りに仕立てられたそれとは似て非というものだろう。

 三つの小説は無論別物、それぞれの特徴があるが、村上春樹の訳のせいか文章、文体、日常の暮らしの表現など共通するとまではいわないものの、似た雰囲気を醸しだしているところがある。そう感じるのは、自分が3冊同時に読んだせいばかりだけでもなかろう。訳は原作家になり切ることもあろうが、演じ切っても訳者の言葉でしか表現出来ない。訳者の色がでるのも当たり前だろう。
 英語で読まない限り、やむを得ないことだが、しょせんサリンジャー、フィッツジュラルド、チャンドラーそのものを読んでいるのでなく、村上春樹を介してしか読んでいないと思い知らされる。

 あまり間をおかずに読んだからという理由以外に、3冊のうちどれが一番心に響いたかという問いは、ナンセンスというものだが、自分にはやはり「キャッチャー」の印象が強い。若い時のことは歳をとるほど鮮やかになると見え、あのなんとも言えぬ苛立ちのようなものを思い起こすのだ。人によってその年齢は違うのだろうが、誰もが経験するいわば危険な時だ。
 間違えば心を病みそう気がする時期とも言える。決していい時期とは思えない。加齢とともにそれをやり過ごしつつ、生活にかまけて忘れるが、苦味を帯びて時折り思い出す。歳をとると次第に嫌な思いは、変質するような気もするが、甘い青春の思い出などと言うのとは異なる。
 主人公の妹の存在で嫌なエンドにならなかったのは救いであり、後世の多くの読者を得ているのはめでたいことだとしみじみ思う。



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オオミズアオ [自然]

 散歩中に老人ホームの裏で、藪蘭にとまり翅を休めている蛾を見つけた。大きいので目立つが、名前は知らない。写真を撮り検索すると、ずばり出てきた。
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 オオミズアオ(大水青、学名 Actias alienaは、チョウ目ヤママユガ科に分類されるガの一種。北海道から九州にかけて、国外では朝鮮半島、中国、ロシア南東部に分布し、平地から高原まで生息域は広い。種名にギリシア神話のアルテミスが使われている。古い一名としてユウガオビョウタンと呼ばれていた。
近縁種にオナガミズアオがいるが、翅や紋様からするとこちらはオオミズアオのようだ。

 なお、ガ(蛾)とは節足動物門、昆虫鋼、チョウ目は(鱗翅目、ガ目とも)に分類される昆虫のうちのうち、チョウ、(具体的にはアゲハチョウ上科、セセリチョウ上科、シャクガモドキ上科を除いた分類群の総称だという。
 日本にはチョウ目の昆虫が3,500種類知られているが、「チョウ」と呼ばれるものは250種類にすぎず、他はすべて「ガ」である。世界全体で見ると、ガの種類数はチョウの20 - 30倍ともいわれている。チョウとガに明確な区別はないらしい。翅を立てて止まるのがチョウとおしえられたが、蛾にもそうするのがいるという。

 系統分類学的にはチョウは蛾の一部というし、外国の言葉では二つを区別していないところもあるらしい。
 我が日本人はしっかり区別し、どちらかといえばチョウの方を好む人が多いのではないか。

 歳時記では蛾は夏。天蛾(すずめが)、山繭、夕顔別当、白髪太郎、天蚕(やままゆ)などとも。

    例句 蛾のまなこ赤光なれば海を恋う 金子兜太

 チョウは春。蝶々、胡蝶、初蝶、紋白蝶などとも。ただしアゲハチョウのような大型種は夏。秋の蝶、冬の蝶、凍蝶(いてちょう)も季語である。

    例句 うつつなきつまみごころの胡蝶かな 蕪村

 蛾というと、自分などは中国の名山峨眉山を思い起こす。虫偏でなく、高い山の意の山偏の峨眉。二つの美しい山頂を眉と見立てた。  

 李白の詩では、峨眉山は山偏でなく女偏になっている。虫偏の蛾眉は蛾の触角のように細く弧を描いた美しいまゆ。転じて、美人。

娥眉山月半輪秋 娥眉山月,半 輪の秋
影入平竜江水流 影は平芳江水に入 りて流る
夜発清渓向三峡 夜,清 渓を発して,三 峡に向う
思君不見下渝州  君を思えども見えず,渝 州に下る。

  藪蘭にオオミズアオの大褒章  杜 詩郎  

 ミズアオというが、どちらかと言えば黄色に近いからさしずめ黄綬褒章といったところか。
 黄綬褒章(おうじゅほうしょう)は「業務ニ精励シ衆民ノ模範タルベキ者」に授与される。「農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方」に授与されるという。
 それとも紫色の綺麗な藪蘭だから「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者」に授与される紫綬褒章(しじゅほうしょう)がふさわしいか。
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牡丹臭木(ボタンクサギ) [自然]


 蕾が綺麗なマゼンタピンク色である。最初は紫陽花の変種亜種かと思ったが、少し違う気もしたのでネットで調べた。
 どうやら紫陽花ではなく「臭木」の近縁種、亜種か栽培種のよう。
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 そのクサギ(臭木、Clerodendrum trichotomum)は日当たりのよい原野などによく見られるシソ科の落葉小高木。葉に悪臭がある事からこの名がある。日本全国のほか朝鮮、中国に分布する。従来はクマツヅラ科に入れられてきたが、現在はシソ科に移されている、とある。若葉は食用になり、実は草木染めに利用される。臭木、常山木とも書く。
 はな、実とも秋の季語。
   例句 逃ぐる子を臭木の花に挟みうち  波多野爽波

 牡丹臭木は、そばに寄らなくても芳香がして臭木の名は相応しく無い。臭木は街路樹にもなるそうだが、今までお目にかかったことがない。パリにあるという街路樹の臭いとはどんな匂いがするのだろうか。
     マゼンタの牡丹臭木の花蕾 杜 詩郎
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凌霄花のうぜんかずら [自然]

 
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ノウゼンカズラ(凌霄花Campsis grandiflora)はノウゼンカズラ科の蔓性木本。夏から秋にかけ橙色かあるいは赤色の大きな美しい花をつけ、気根を出して樹木や壁などの他物に付着してつるを伸ばす。
 中国原産で平安時代には日本に渡来していたと考えられる。漢名が凌霄花(りょうしょうか)。凌霄(ノウゼン)は空を凌ぐ意とか蔓で高いところに花をつけるからか。

 夏の季語になっている。

 例句 塵とりに凌霄の花と塵少し 高野素十

 夏の花は少ないので鮮やかな色がひときわ目立つ。漏斗状の花がよく道端に落ちていることがある。それで見上げるとこの花が咲いていることに気づくことがある。花期は意外と長い。
 じぶんの中では、熱帯南洋の「ブーゲンビリア」や沖縄の「でぇいご」などと一緒になっている。理由不明。

  眼の疲れ 凌霄の花 数増へり 杜 詩郎

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悪茄子 [自然]

 
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ワルナスビ(悪茄子、学名:Solanum carolinense)はナス科の多年草。 日本も含め世界的に帰化している外来種である。
 英語でも「Apple of Sodom(ソドムのリンゴ)」、「Devil's tomato (悪魔のトマト)」などの悪名で呼ばれている。
 実に毒、茎や葉に鋭いとげがあり繁殖、雑草力があるなどが理由らしい。命名者は牧野富太郎博士とか。
 散歩道に沢山生えていて夏花をつける。名前によらず可憐な花である。なす、ジャガイモの花にそっくり。
 茄子は夏の季語だが、むろん悪茄子という季語は無い。
 わを折り込んだ駄句をひねった。
      ワルという割に侘しげ悪茄子
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ルリマツリとハリマツリ [自然]

 ジムをやめたので、身体を動かすのはすっかり減ってしまった。起床時の軽いストレッチと妙正寺川のへりの散歩だけになってしまった。川縁の遊歩道は民家の庭にも面しているので庭の草木を眺めて歩くことになる。この花は何?と気になると携帯で検索するクセがついた。
 実や花は知っていても、葉は知らない、葉を見たことがあるが花や実は知らないなど様々だからさぞ検索エンジンも大変だ。
 この二つは一軒の家で見たものだが。偶然ハリマツリとルリマツリだった。瑠璃と玻璃。マツリはマツリカ(茉莉花)のことだろう。

①デュランタ
 デュランタあるいはドゥランタは、クマツヅラ科デュランタ属の植物。通常「デュランタ」の名前で栽培されているのはデュランタ・エレクタで、和名はハリマツリ、タイワンレンギョウ。ハリは針でなく玻璃と勝手に決めたが根拠はない。
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②瑠璃茉莉ルリマツリ(プルンバーゴ)
 ルリマツリは、イソマツ科ルリマツリ属の植物。大きな空色の花弁を付ける、観賞用植物である。別名はアオマツリ。
 花の名は、瑠璃色の花がジャスミンの仲間のマツリカ(茉莉花)に似ていることから付けられたという。
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 わけもなく「瑠璃も玻璃も磨けば光る」という俚諺を思い起こす。二つとも目立たないが、宝石のように美しい花だ。
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ソヨゴ(戦) [自然]

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 5月末左上のトキワヤマボウシの名前を知らず検索したとき、気付かなかったが右下に小さな花が咲いていた。はてこれは何だろうと調べてみるとどうやらソヨゴ(写真右上)と分かった。
 なお、一週間経ちトキワヤマボウシは梢まで咲き上がっていた。確かに花は横向にさいている。(右下)

  今回もグーグルアプリと花探しアプリと両方を使った。グーグルフォト検索では、楠など数枚の候補写真が出てきたが最後の方の一枚が一番似ていて、それがソヨゴだった。花探しアプリに写真を投稿すると即座に「ソヨゴかも」と返答があった。よほど詳しいひとが多いのか、こちらが物知らずなのか。

さて、ソヨゴとはどんな花木か。
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 ソヨゴは雌雄異株、まばらに咲く雌花のようだ。雄花は集まって咲く。花は雌雄とも白と薄い黄緑色(開花は6~7月頃)で、花がとても小さいことからあまり目立たない。秋に赤い実がなる。

 ネットを見ると次のことが分かった。
 ソヨゴ(戦、冬青、具柄冬青、学名:Ilex pedunculosa )は、モチノキ科モチノキ属の常緑小高木。3〜10m。別名フクラシバ。
 風に戦(そよ)いで葉が特徴的な音を立てる様が名前の由来とされ、「戦」と表記される。常緑樹で冬でも葉が青々と茂っていることから「冬青」とも表記される。「冬青」は常緑樹全般にあてはまるため、区別するために「具柄冬青」とも表記される。
 成長が遅いからか堅く緻密な材質ゆえにそろばんの珠や櫛の材料に使われる。また手斧など工具の柄に使われることも多かったことから「具柄冬青」と書かれるようになった。(グエトウセイ、グツカトウセイと読むのか?)
 フクラシバの別名は葉を加熱すると内部で気化した水蒸気が漏出することができず、葉が音をたてて膨らみ破裂することから「膨らし葉」が語源とされる。

 数十万種になるだろう植物名が分かったからといって、どうということもないのかも知れないが、言語(テキスト)からの検索に加えて写真映像から植物は勿論、動物、あらゆるモノ、商品名まで検索出来るのは考えて見ればすごいことではある。しかもスマホさえあれば日常的に使えるのは便利であることは疑いない。AIの技術は日進月歩。さらに強力になると思うと、何やら空恐ろしくなる。
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この花の名は? [自然]

 散歩していると、時折り名前を知りたくなる花木などがある。
 今は花の名前探しのためのスマホアプリなどがあって、かざすと名前が出て来る便利なものがあるが、以前は植物図鑑をめくるかひとに聞くしかなかった。それも写真でもなければ難儀だ。

 8年前になるが母校の同級会で庭園の散歩中、真っ赤なおびただしい数の実をつけた木を見つけた。しかし、一緒にいた誰もその木の名を知っている者がいない。
 帰ってから何となく気にしつつ過ごしていたら、一週間後くらいに東京新聞の日曜版写真コラム「草木帖」にずばりそれを見つけ、これだ、飯桐の実だ!と膝を叩く思いをしたことがある。これなど全くの偶然でめったにある事では無い。

 グーグル検索は画像検索機能もあるので「木、灌木、夥しい赤い実」など入力すれば、トキワサンザシなどが出てくる。当時でもこの方法で画像を探すか、ブログなどの写真で飯桐を見つけることは可能だったろう。あの時はまぁ、多分ググっても無理だろうと手を抜いたのである。

 しかも飯桐の実は歳時記にはちゃんと載っていてびっくり。その時のことをこのブログでも書いた。

  「歳時記はえらい」
   https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/archive/c2301260427-1

 さて、あれからかなりの時が経ったが、最近思い立って花の名を探すスマホアプリをインストールした。このアプリはAI搭載というが、画像検索機能が基本のようでいくつか似た画像が出て来て「これだ」と見つける方法である。同じアプリに参加している愛好者が教えてくれる機能もある。
 AIといっても発展途上であろうし、スマホだからお遊びの域を出ないが、かなりのものは花の名に辿り着くことができる。
 早速このアプリとグーグル検索を併せて試して見た。

花の名探し 1日目
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 アプリやグーグルフォトを使って、これだろうと出した結論に確たる自信は持てない。②と③は当たっているような気がする。
 ③は実が販売されており、美味しいらしいが、花弁も食べられるとか。
 ①カンパニュラ アルペンブルーまたはイソトマ属。星形のきれいな花である。
 ②トクサ(木賊) 茎に含まれた珪酸を活用して刃物を研ぐので研草とか。
 ③フェイジョイ 実のほうが有名らしい。
 フェイジョア(学名:Acca sellowiana (O.Berg) Burret、シノニム Feijoa sellowiana O. Berg など、別名:フィジョア)はフトモモ科の常緑低木。果物として食用に栽培される他、 庭木や生垣用としても評価が高い。ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル南部原産。和名、英名ともフェイジョア。(ウキペディア)

花の名探し 2日目

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 似ているけど?」、「亜種・栽培(改良)種?」と首をひねる花木も多い。①はやつで②はやまぼうしに似ているが違うようにも見える。
 調べるとどうやら①は紙やつで②は常緑やまぼうし。

 カミヤツデは書画用紙の原料になるので紙八手。②は冬落葉しないので「常緑」山法師とか。うーん、ややこしい。

 ①カミヤツデ 紙八手
 カミヤツデ(紙八手、学名:Tetrapanax papyrifer)とはウコギ科の常緑低木。別名、ツウソウ(通草)、 ツウダツボク(通脱木) 。カミヤツデ属唯一の現生種(化石種-化石として発見された種に対する現生種-現在生存している種)であるが、葉の大きさはハンパでは無い。
名前は書画の用紙をこれから作るので、付けられたものという。

 ②常緑やまぼうし(コルヌス ホンコンエンシス)。月光とあるが品種名か?
 やまぼうしには落葉と常緑があるそう。2種とも秋になると紅葉するが、常緑ヤマボウシは光沢のある葉が紅い状態で冬を乗り切り、春になると徐々に葉の色が緑に戻る。落葉山法師は裸木で冬を越し、春先に花が咲き、後に新芽が出る。

「ヤマボウシ」は花が真上を向いて咲き、トキワヤマボウシ(常盤山法師)「コルヌス・ホンコンエンシス」は横向きに咲くとあるが、写真のとおり上を向いて咲き黄緑色だった。徐々に横向になるのだろう。
理由があるわけでは無いが個人的には上向の白い花の方が好ましい。横向きはきれいだが、これみよがしの感じがする。

 花の名探しで、冒頭の飯桐の実の例もあるので気になって歳時記も調べた。余談であるが。
カンパニュラ、フェイジョア、カミヤツデはもとより記載は無い。

「木賊刈る」秋 
 木賊の茎を茹でて乾燥させ、研磨料とするために刈り取ること。木賊はトクサ 科の多年草で常緑植物であるが、茎の充実している秋に刈る。山野の湿地に自 生する。茎が青々としているので観賞用に庭にも植えられる。
 例句 ものいはぬ男なりけり木賊刈り 蓼太 
大島蓼太(りょうた)江戸時代の俳人世の中は三日見ぬ間に桜かなで知られる。

「八手の花」冬 
 ウコギ科の常緑低木である八手の花。暖地の海岸近くの山林に自生するが、多 くは観賞用に植えられる。七九裂した、天狗の団扇といわれる葉が特徴。 初冬のころ、白色の直径約五ミリの白い花が固まって咲き、多数の謎状をなす。翌年の四~五月に黒い球形の果実となる。
 例句みづからの光りをたのみ八ツ手咲く 飯田龍太

「山法師」夏 
 山法師はミズキ科の落葉高木で山野に自生し、六~七月、小枝の先に白い花び らのように見える苞に囲まれた頭状花序をつける。山桑ともいい、街路樹と しても植えられる。
 例句 旅は日を急がぬごとく山法師 森澄雄

 ところで、2日目のスマホで撮った常緑山法師の写真②の右下に小さな白い花をつけた花木が写っていることに、あとで気付いた。葉も似ているので紛らわしいが、別の花木だ。この花は何?
この花の名も探して見た。時節柄やるべきことは他に沢山あるのに暇人である。それを次回に。


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内田樹「村上春樹にご用心」を読む [本]

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 いっとき、暇があったのとその読み易さの文章で多くの村上春樹の小説をまとめ読み(?)したことがある。
 備忘のため、わがブログに書いたら短文ながら「その13」にまでなった。
村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」

https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2017-11-09

 読後感は一般的に言われていることとさして変わらないものだが、そのとき、この小説家は、なぜこんなに暴力とセックスを多く書くのかと思ったことを覚えている。

 「日本辺境論」(新潮新書2009、11 2010新書大賞)、「逆立ち日本論」などの著者で有名な内田 樹がいる。2016年この2冊のほか、呪いの時代を読んだ記録があるが、内容はすっかり忘れている。最近の忘れ方のひどさは半端ではない。そら恐ろしい。

「日本辺境論を読む」

https://toshiro5.blog.ss-blog.jp/2016-04-08

 内田 樹は、1950年生まれ神戸女学院大学 フランス文学者 武道家。以前から何故か関心があり、ネットで「内田樹の研究室」というブログをたまに読む。

 表題に惹かれて内田 樹著「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007)を図書館で借りて読んだ。借りた途端、新型コロナによる閉館になり、返せなくなったおかげでゆっくり読めた。

 この中で内田は、村上春樹の文学は「普通の穏やかな生活」を「邪悪なもの」から守る「センチネル(歩哨)」と三者関係が基本になっていると説く。とても分かり易い。自分は沢山読んだ割には、村上春樹の読み手としては落第だなと反省する。

 内田氏はそれぞれ、「普通の生活」は衣食住こそ基本、「邪悪、不条理」とは例えば猫の手を万力で潰すようなもの、「センチネル」は誰かがやらねばならぬ雪かきのようなもの、と表現して解説する。これも分かり易い。

 また、「政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚とか、そういうものは「邪悪的なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。」とも書いている。

 エロス的恍惚は、普通の生活におけるセックスではなく邪悪的なものの側にあるものとして書いているなら、村上春樹がしきりにそれを書くのは分かる。しかし、それなら普段の生活における衣食住と同じような扱いのセックス描写はなんなのだろうか。

 また、「政治的激情」とか「詩的法悦」も邪悪的のものとしばしば共犯者になると言うが、それはどんな時か。村上春樹の小説を読んでいて気が付かなかったが、それだけに知りたいものだ。

「もういちど村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2010)があるようだから、それが書いてあるとも思えないが、図書館が再開したら借りて読んで見ようと思う。
 検索したら他に「村上春樹スタディーズ」、「村上春樹1Q84をどう読むか」などもあるようだ。

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塚本邦雄を読む [本]

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 ウキペディアによれば「塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。
 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した」とある。

 2005年、85歳で没したが、1920年生まれといえば自分より20年歳上、1902年生まれのわが父より18歳下ということになる。歌人と父とは、無論関係は無いが大戦に兵役を免れていることだけ、共通している。
 歌人は25歳で敗戦だから、大戦の精神形成への影響たるや大きいものがあったと推察できるが、戦時神戸の商社に勤めていたサラリーマン経験者ということが自分には興味が惹かれた。

 わが少ない読書録に塚本邦雄著「百句燦々」がある。余り内容に記憶は無いが、確かに「独自の絢爛な語彙」は印象に残っている。
 俳句に興味があって読んだので歌人、詩人などだったとは頭が回らなかった。ウキペディアに俳人とは書いてない。選ばれた百句が常識的でないなというのも感じた覚えがある。今になれば一般的な名句を単純に選んで解説したものではなかったと気づく。

 図書館で借りてきて読んだ本は、「塚本邦雄の宇宙」、「華句麗句 俳句への扉Ⅱ」、「句句凛凛 俳句への扉Ⅰ」「詞華美術館」、「火と水の対話 塚本邦雄寺山修司対談」、「けさひらく言葉Ⅰ、Ⅱ 」、「異国美味帖」、「ほろにが采時記」、「ことば遊び悦覧記」だが、前衛短歌や詩は残念ながら殆ど理解の外で読み切ったとはとても言えない。なお「俳句への扉Ⅲ 句風颯爽」は図書館の資料検索に見つけることが出来なかった。

  革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化するピアノ
  馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
  日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
  突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼

 これらの代表歌を見れば、俵万智のサラダ記念日などがその対極にあることがわかる。斎藤茂吉、寺山修司はその中間か。

 溢れるばかりの比喩(直喩、暗喩)、音韻連想などについていけない。主宰する結社名からして「玲瓏」。
 歌集の題名も 水葬物語、 日本人霊歌、装飾樂句(カデンツア)、水銀伝説、綠色研究、感幻樂(かんげんがく)、星餐図etc.と何やら謎めく。

 俳句の方は17文字の故か、素人にも少しは分かるが通底するものは同じことのよう。論拠に乏しいが子規、虚子、芭蕉、兜太の順の次か。その先はもう山頭火、放哉になりそう。

  ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし
  初雪や膵臓のかげうすむらさき
  曼珠沙華かなしみは縦横無尽
  萬難を排して余呉へ芹摘みに

 「人間の愚かさ。『人間の』は余計だ。愚かなのは、人間以外にない」とは塚本邦雄の言だが、戦争体験が頭にあることは疑いがなかろう。ただ歌人の私生活は意外と真っ当というか常識的であったよう。
 「異国美味帖」や「ほろにが采時記」を読むと、記述は緻密、詳細に亘るが、それを窺える。また自分には興味の的や感受性などは共感するものが多い。
 詩歌は言葉遊びというだけに「ことば遊び悦覧記」は最も塚本邦雄らしい本だろう。内容についていけないものが多いが興味深々ではある。
 折句、回文、幾何学形詩、いろは歌、形象詩(カリグラム)などマニアックで読んでいて目が眩む思いすらする。これらに比べれば前衛短歌などはまともな方か。

 一人息子が歴史小説家の塚本靑史。「わが父 塚本邦雄」(白水社 2014年)も読んだ。作品からは想像出来ぬ生活ぶりをこの本からも知ることが出来る。特に晩年の様子は前衛短歌から想像出来ぬ普通の老人だ。当たり前ではあるが。
 息子は「麒麟も老いぬれば駑馬に劣る」と呟く。こちらは我が身に重ねて、駑馬が老いぬれば何になるのだろうと思うだけだけど。

 これらの本は、日々増加するコロナ感染者数に恐怖を募らせつつ過ごす時に読んだ。きっと忘れがたい読書の時間だったと、一連の華麗な言葉の乱舞などとともに後々思い出すのだろうか。




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令和二年庚子歳旦三つ物 [詩歌]

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庚子歳旦三つ物
 発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 脇  しみじみとしろこの初昔
 第三 誕生日五輪開会重なりて

 昨年2019年は、5月が代変わりである。したがって平成31年(4ヶ月間)でもあり、令和元年でもある。後の世では平成31年が、人の意識から消えて無くなるのだろうか。
 昭和、平成の代変わりは1989年1月で昭和64年は1ヶ月のみだから昭和64年は存在しなかったごとく、昭和の御世は63年だとなっても不自然ではない。

 昨年7月10日つまり令和改元2か月ほどで病を得た。むろん罹患は改元と無関係である。病気は何時老人を襲っても不思議はない。が、今回は老人には怖い肺炎(pneumonia)である。
 24日間の入院を経て漸く退院して、医者は順調な回復と言ってくれるものの、年が明けてもなお身体が変だ。
しかし、医師の適切な処置で命を救って貰い、いくら感謝しても足りぬとしみじみと思う去年(こぞ)であった。79歳の誕生日7月24日は病室で迎えた。
 何より異常な暑さの中、家人にかけた負担は入院中はもちろん退院後も尋常では無かった。

 このことも影響したらしく、めでたい時に作る新年の三つ物、令和ニ年庚子歳旦がなかなか上手くいかず難儀した。
 いつものように暮れに作ったが、最終的に次のとおりになった。

令和二年庚子歳旦三つ物
 左義長の炎汝が胸照らしけり
 しみじみとしろこの初昔
 誕生日五輪開会重なりて

あまり賢明ではない、と承知で自解を試みる。

発句 左義長の炎汝が胸照らしけり
 左義長は小正月(1月14日)に旧年の注連飾りや願掛け達磨などを燃やす「どんど焼き」の別称。全国各地で行われる。
 燃える炎があなたの貌(かお)でなく、胸を照らすとしたのは、これでも肺炎を想起する人は、よもやいまいと考えた。
 一方、「我が」胸とせず「汝が」胸としたのは、自分のことではないと曖昧にしたかったから。
 初案は 令和ニ年はねずみ歳なので、「あるじ留守物置走る嫁が君」だった。自分の入院中に物置に置いた猫砂の袋がねずみに齧られたのを家人が見つけて、どうしようと本気で悩んだりしたのだ。
 嫁が君では脇が続かず、最後の最後にふと、「左義長」という語が浮かんだので急遽変更した。

脇 しみじみとしろこの初昔
 しみじみは命令形に馴染まないが、自分のなまえをかけた。やや強引だが読んで気づく人はいまいとふんだ。
 「初昔」には強意の「この」をつけた。「初昔」は去年(こぞ)のこと。歳時記で見つけた新年の季語。「昨年」と同じ言葉で、我が身にいろいろあった令和元年を指すという。初めて知ったが良いことばだ。

第三 誕生日五輪開会重なりて
 わが誕生日は7月24日。あと半年余り元気であれば、めでたく傘寿の日を迎える。世界中の人がこの日を五輪開会日として祝うだろうが、わしもこの日誕生日だぜ、関係無いけど、というだけの雑(ぞう)の句。
「誕生日」を「傘寿の日」とすることもできたが(あるいはその方がめでたさも増量するが)、遠慮した。
 過程では「またしても関わり薄き五輪来て」などという句もあった。
 今回も前回もオリンピックとの関わりは薄い。前回は結婚の前年の秋。オリンピックなど頭に無かった。
 今回も、たまたま開会式の日が誕生日と重なるだけの関わりになりそうで、待ちに待っている人からは叱られそう。それにしても騒ぎ過ぎで心配である。他にもっと騒いで貰いたいことがたくさんあるし、何より一億総なんとかの雰囲気でお宅何しらけているの、という感じが怖い。

 さて、三つ物らしくめでたい句になったかどうか分からないが、句の形だけは出来たので年賀状に添えた。相変わらずの心臓。
 読んだ人は殆ど理解出来ないだろう。それは読む人のせいでなく、詠んだ人の責だということが、この自解で分かるというものだ。
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去年のかぼす [自然]

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 ややこしいが、おととし(2018年12月)の前回のこの話しは「今年のかぼす」という題だっと覚えている。

 昨年(2019年)は花も実もたくさんつけたが、実が大きくなりはじめた夏頃、体調を崩して長期入院したので、採りどきに収穫できなかった。やむなく息子に頼んだが、その結果半分くらいを残してしまった。
 退院してから体調と相談しながら、3回くらいに分けて残りを収穫せざるを得なかったため、自然にテニスボールよりひと回りくらい小さい、つまり大玉の温州ミカンくらいの大きさになり、しかも黄色いカボスとなってしまった。
 大分では黄色いかぼすと言って馬鹿にする。かぼすはピンポン玉よりひと回り大きいくらいのものが香りがあって刺身、秋刀魚にかけて愉しむ物というのが普通である。
 大分に住んでいた頃、当時大分の人は黄色いかぼすを、活用したのか覚えがない。香母寿というジュースがあったが、あれも小さいうちに採ったかぼすを搾ったのではないかと思う。

 さて、1昨年最後の頃収穫した大きくて黄色いカボスを、どうかと思いながら人にあげたら、大きいしジューシーと喜ばれてびっくりした。さらにマーマレードにして食べたと言う。
 それではと去年は家人にマーマレードを作って貰うことにした。
 以前、青いうちのかぼすを使って、ジャムを作るのに悪戦苦闘したことがある。市販のペクチンを添加してもダメ。皮だけでなく、種子のペクチンも煮出して取り出すと良い、とネットにあったのでそれも試みたが、とうとうジャムにならず諦めた。
 しかし、黄色いかぼすを使うとなんとちゃんとジャムらしく、マーマレードらしくなったではないか。黄色く熟してペクチンが皮の中に形成されたのか。かぼすの中身も大きいので取り出し易い。縦に二つに切り、へたとへそに2カ所包丁を入れスプーンで掻き出す。種子を除き、小袋を細かく切り刻み、細く切った皮と一緒に砂糖で煮れば良い。市販のペクチンも不要である。

 ついでにピールを作って見ようと、かぼすの皮だけを砂糖で煮てざらめをまぶして乾燥する。天日乾燥が良さそうだがホコリがつきそうで難しい。が、ピールらしきものになった。そのままつまむのも良いが、たぶんスイーツの材料には良さそう。
 ピールの場合も中身を捨てずに、布巾で濾せばジュースになる。簡単である。青いかぼすより酸っぱみがかなり消えるが、癖がなく鍋もののタレなどにすこぶるよろしい。

 マーマレードもピールもオレンジなどと異なるのは、やはり苦みである。かぼすらしいと言えばそのとおりながら、口に合わない人もいるだろう。何か苦味を消す自然の添加物はありそうな気がする。プロなら見つけるのは容易だろうと思う。あるいはもっと熟してから収穫すれば良いかも知れない。
 何人かの人にマーマレードを差し上げて食べて頂いたが、苦味に苦い顔をした人もいただろうと思う。

 いずれにせよ、青いかぼすばかりでなく黄色いかぼすの活用方法は、十分ありそうだと実感した。大分県頑張れ!
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廃車 わがカーライフの終わり [車]

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 入社して1年の本店研修期間を終えて、静岡市に転勤した。
 支店で更に1年間研修を受けて配属されたのが、割引債券のセールスだったので、すぐに自動車免許取得命令が下りた。
 強い弱視に加えて運動神経、反射神経、空間認識、流動視力、など運転に必要な能力が乏しいらしく、何度も県営の自動車試験場の実地試験に落ちた。半年かけてやっと昭和40年(1965)8月取得。25歳。その年の秋結婚した。
 しかし、当時の静岡支店では先輩の乗る車しかなく、暫く自転車で飛び込みセールスをした後、はじめに乗ったのが日野のコンテッサ。
 コンテッサはかなりのオンボロで運転中に橋の上で後のタイヤが車軸から外れた。ひとつ間違えば大事故になっただろうが、停車した後おもむろに外れたのが不幸中の幸いだったけれど、冷や汗ものである。今でも思い出す。
 その後が当時初の量産大衆車で人気車種のトヨタのパブリカだったが、乗った期間はごく短く新潟市への2回目の地方転勤になる。
 28歳。一人息子と3人の暖国から雪国への1月の異動、移住である。

 後で振り返ると、この時の自転車と自動車によるセールス経験は、自分にとっていろんな意味で大きな財産になったように思う。

 新潟では内務の仕事に変わり、東京に戻ってからも車に縁がなく運転することもなかった。
 42歳。大分に転勤になって勧められて中古の日産ローレル2000ccを買った。これを東京に戻っても大分ナンバーで乗っていたが、再び福岡に転勤になって1年1ヶ月乗った。49歳、平成元年東京に戻る時に福岡で廃車した。このローレルを通算7年余持っていたことになる。
 以来車を運転することがなかったが、第二の職場に移ってから、どうしても必要になりトヨタのファンカーゴ1500ccを買い求めた。61歳。

 今回、深刻な病いになってもう車には乗らないと決め廃車した。
 79歳。次の免許更新まであと2年ある(2021)が、時節柄自主返納することになるだろう。廃車の方がそれに先行することになった。
 ファンカーゴは通算18年。3万キロちょっとだから、いくらも乗っていない。遠出も軽井沢や伊豆など数回しかせず、都内で走っている分には走行距離は伸びない。
 これが我がカーライフである。ある取引先のカーキチが、自分の余生と後乗りたい車種とを重ねて思うと短いと嘆いているのを聞き、こういう好きものもいるのかと感心したことがあるが、それに比べたら凡そつまらぬマイカーライフではある。

 しかしながら、ぶつけて傷をつけたり、ヒヤリハットもあったが、ブレーキの踏み間違いなどもなく、さしたる大きな事故にも遭遇せず優良免許証のまま終わりそうなのは有り難いことだ。 
前記の如く、もとより運転の才能は乏しいという自覚は持っているとはいえ、事故に対する認識も甘いのに良くもまぁ、乗ってきたという思いもある。
 それを知っていたのは、いつも脇に乗ってくれた家人でこの10年ばかりは夕まずめ、夜間、風雨雪どき、高速道路は極力回避することを求められた。有り難かったことだ。

 カーライフから話は、少し逸れるが、通勤、営業などで運転して貰って車に乗った期間は、大分2年、福岡1年、大阪2年、東京5年で、通算10年に及ぶので運転手さんがいかに優秀か、自分より上手いかをいやでも見ることになった。
 運転技術のみならず、時間に遅れず、早すぎず間に合わせるという確固たる目的意識、想定外のことへの対応、冷静な周囲の車への目配り、同乗者への気配りなど、何時も感心させられた。運転してくれる人は、変わるが共通する何かがある。自分はどれだけ彼らから学べたかと思うと心許ない気がする。

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野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル [自然]

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 地震雷火事親父というがこの中にない台風、竜巻による風雨水害がこのところ続いて苛烈である。
 集中豪雨は毎年のことだが、今年は温暖化による異常気象が原因かレベルが違う。こんな事は生まれてはじめてですというのは、災害にあった者からよく聞く言葉だが、今回の河川の氾濫はその範囲の広さが違う。
 15号、19号台風、その後の豪雨は自分の身の近くで起きたので強烈である。昨年の西日本水害では死者二百人を超えた凄まじいものだったが、遠く離れていたというだけで凡夫の悲しさ、衝撃は今回の方が強烈に感じるのだろうか。
 今回は東日本広域にわたる被害が特徴的だが、特に千葉県の風水害被害が際立つ。今回3度とも被害を受けた家も少なくないという。中には福島、宮城県など東日本大震災被災者が、被害を受けたと聞くと言葉を失う。

野分荒れ千葉の弱者のミゼラブル

 弱者は重篤な病人、寝たきり老人、貧困児童etc.例示するのも胸が痛む。
 被害は家屋倒壊、浸水、広範な長期に及ぶ停電、断水、農産物被害etc. 嗚呼。OMG!
 被害から立ち直り従前の生活を取り戻すには、長い時間と苦悩を伴うだろう。安寧の日を取り戻せない人が出る恐れもあり得ると思うとやりきれないが、心からお見舞い申し上げるしか術がないとは何ということか。
 自然災害だけではないと、確信出来るような報道を耳にするのもまた辛いものがある。
タグ:OMG!
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寝て打てばライン乱れる夏の夜 [詩歌]

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この夏、若い人がすなるという「ライン」を老人もしてみんとて始めた。やってみるとラインはメールよりよほど打ちやすい。時刻と既読の文字が出るのも何かと都合が良い。
別々に出かけたときなど、お互い連絡を取るときなど重宝している。2階にいるときお茶が入りました、とかTV相撲の時間ですよ、などと打ってくれるので、はいと返事を打って遊ぶ。
また離れて住む子供達とで災害などの安否連絡用のグループも作った。これは19号台風の時初めて使った。

駄句が浮かんだ。

寝て打てばライン乱れる夏の夜

この句は中七「ライン乱れる」が気に入っているが、仰向けでラインしているのは、必ずしも病人とは限らぬ。
横着な若者が寝ながら恋人に打っている図ともとれる。
若い人は老人と違って、仰向けでも打ち間違えなどしないかも知れないが、誤字でも誤変換でも万一打ち間違えて、そのまま送信してしまうと一大事になりかねない。
あなたが好きを数奇と打ったり、会いたいを逢いたい(大昔ではないから問題にならないか)としたりするリスクがいっぱいある。それでなくとも、ラインに限らずメールやSNSは、相手の顔が見えないので、誤解を招きかねない要素をふんだんに孕んでいるのは、周知のとおりだ。

タグ:ライン
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高浜虚子の句 [詩歌]

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高浜虚子は1874年生まれ、1959年85歳で没した。
正岡子規に兄事、後に俳誌ホトトギスを主宰する。一族は星野立子、稲畑汀子など俳人が多い。
生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされるが、現在活字として確認出来る句数は約2万2千句という。
虚子の作品は2009年12月31日に著作権が消滅し、2010年1月1日からパブリックドメイン(公有)に入っているから青空文庫で読むことが出来る。
500句、550句 600句などの虚子句集を青空文庫で読んでみた。

花鳥諷詠と客観写生を主唱した虚子の代表句は、例えばウキペディアでは次の通りである。

遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志抱きて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの
波音の由井ガ濱より初電車
吾も亦紅なりとひそやかに
子規逝くや 十七日の 月明に
流れ行く大根の葉の早さかな

たしかにほぼ花鳥諷詠であり、花鳥は季語と同義語だがいずれの句にもそれが読み込まれている。また全てが客観と言えないような気もするが、写生句である。
季語がない、観念の句はもはや俳句ではないとして、伝統的な17音に徹した虚子の短詩芸術における本当の狙いは、奈辺にあったのか素人には分かるよしもない。
しかし結果から見るとこの二つは、俳句の大衆化に大きく寄与した。俳誌、俳句結社というビジネスモデルにおいて子規から受け継いだ写生、しかも誰が見ても同じの「客観写生」と誰が読んでも同じような感覚を呼び起こす「花鳥(季語)」を句に必ず読み込むべしとしたことは、俳句を詠む素人、趣味人の区別なく大きな支えになったことは疑う余地が無い。
大衆化に貢献した「新聞俳壇」も同じことだろう。
「ホトトギス」の長命、虚子一族の俳句ファミリーツリーの大きさはそれを如実に示す。虚子の客観写生と花鳥諷詠は営業戦略と揶揄する人すらいるくらいである。

ところで虚子の句をあらためて見ると、たしかに季語のない句は極端に少ない。無理やり入れている感じがするほどだ。
一方で客観写生の方は、主観写生もかなりあるように見える。もとより写生に客観と主観に明確な線が引ける訳もないのだが。
花鳥とは自然であり、自然には人間も含まれるとする虚子の俳句は、季語と人の心の動きをぶつけているだけのものが多いように思う。その意味で月並みに限りなく近い句が多いようにも思えるのだが、中にはどこか人の心に残るものもある。
これだけ多く詠めばどんな人にも感慨を引き起こすものが、必ず一つや二つあるだろうと言ったら虚子ファンに叱られるか。句は分かりやすいが、どうももうひとつ親しみが持てないのはどうしてか分からない。どこか俳句界の成功者というイメージが邪魔をするのか。かといって碧梧桐や放哉、山頭火は親しめるというわけではないのだが。

今回自分が拾い出した句は以下のとおりである。

鎌倉を 驚かしたる 余寒あり
代表句にも挙げられる。鎌倉中の人がびっくりしたのであれば「客観」写生か。
蓑虫の 父よと鳴きて 母もなし
枕草子の「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く」を踏まえているのだろう。
白牡丹といふといへども紅ほのか
確かによく見れば花芯の周りはほんのり赤い。とすれば客観写生句。
もとよりも恋は曲ものの懸想文
これは数少ない季語がない句。連句で言えば雑(ぞう)の句。もとよりも、のもが曲者、もとよりは、では月並み。
初空や大悪人虚子の頭上に
44歳の時のもの。大を入れて破調。字余りが効果的。さすが悪人。
一切の行蔵寒にある思ひ
昔この句に強く惹かれたことがあってよく覚えている。行蔵は出処進退のこと。
虚子の漢語好きは特別でなく、この時代の知識人は皆漢語、漢詩好き。俳句に漢語を使いたい気持ちはよく分かるが、読む方は辛いものがある。特に知らぬ漢語が入っているとしらける。
青空文庫は辞書が付いているので便利だ。
春雪の繽紛として舞ふを見よ
春眠や靉靆として白きもの
繽紛、靉靆など今使う人は無かろう。
福引に一国を引当てんかな
なんとなくおかしい。
敵といふもの今は無し秋の月
71歳、太平洋戦争終了の時の句。
出御今紀元二千六百年天高し
昭和15年の式典に出席したようだ。虚子の大戦への対処は、鴎外のそれに似て面従腹背と言えば一番近いが、酷だろうか。面従は、腹背であっても結果的には、服従だから。

この年は自分の生誕の年。翌年太平洋戦争勃発。

新俳句に走った俳人は早世する者が多かったが、伝統俳句に徹した虚子は長生きして膨大な沢山の句を詠んで昭和59年まで生きた。まるで花鳥諷詠と客観写生に守られたように。そして今なお俳句界の巨星として輝いている。



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心臓で肝冷やしけり年の暮れ [健康]

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昨年のことになるが、クリスマスや暮れも近い12月17日のこと。家人が、胸のあたり少し具合が悪いと近くの内科医院に行き、ついでだからと心電図をとってもらったら異常な波形で狭心症や心筋梗塞の疑いがあると言われた、と帰ってきた。大病院の紹介状を書いてもらったのですぐに行くと言う。

さればと車のキーを手にしたあと、携帯を持とうとしたらこれがない。余程慌てていたと見え、家人が病院から帰る直前に携帯で銀行振込をしてから、間違ってハードトークンと一緒にスマホを引き出しに入れてしまっていたのに気づかない。
固定電話から携帯に電話すると、マナーモードながら音がどこかでするのだがその場所が分からぬ。やっと振込をしていたことを思い出すと、続けてトークンをいつもしまう場所だと連想して、やっと見つかった。肝心な時にヘマをする。

こんな時は車の事故を起こしかねないと、言い聞かせながら阿佐ヶ谷まで走る。予想した通り病院の駐車場はいっぱい。
家人を病院の前でおろし、一番近くのタイムズが一つ空いていたのでそこに入れる。

家人は総合外来の待合室で血圧を測ってもらうと170以上あったと言う。普段は高くても140前後だから、急なことで動揺したせいだろう。
緊急対応ながら、たまたま循環器科の先生が診てくれることになったのは、僥倖以外のなにものでもない。
紹介状に同封されていた心電図を一目見た医師は、こんな波形では貴女はここに来れないはず、とおっしゃる。直ぐに心電図をとりなおすと、なぜか異常なしの波形。何かの間違いだとは思うが、念のためにレントゲンと超音波(エコー)を撮りますと言われ、脱力するも少しホッとする。
これらも異常なく狭心症の心配はないが念のため、明日CTスキャンで心臓の大動脈を調べるとのこと。
12月21日にCT検査の結果を聞きに循環器科に行くと、医師は心臓の画像を示しながら主要な3本の大動脈も綺麗で問題ありませんと言われる。
さらにパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定すると、99とアッパーに近い数値なのでこれも問題ないでしょうとのこと。

帰ってからネットで調べると酸素飽和度(SpO2)とは、心臓から全身に運ばれる血液(動脈血)の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているか、皮膚を通して(経皮的に)調べる値で96未満は要注意とある。

なにやら分からぬ心電図の乱れた波形で、肝を潰した一週間であったが、何はともあれ心配ないでしょうの医師の見立てに胸をなで下ろす。

これで今年の年末もクリスマスが出来、正月を迎えることも出来よう。すべての「おはすもの」への感謝の気持ちがふつふつと湧いて来た。

彼女の心臓のCT画像はCGであろうが、華やかな色彩が施され美しく、かつ、けなげに見えた。

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睡眠口座の話 [雑感]

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片付けをしていたら20年ほど前のJAの古い総合口座通帳とキャッシュカードが出てきた。残高が少しあるので駄目モトで電話をすると、この種の扱いはT支店に集中しているので、そこに電話されたしという。

預金者は銀行に対して債権(預金を返してもらう権利)をもっているが、この権利は5~10年間行使しないと時効が成立し、権利が消滅する。権利の上に眠るものは…というやつ。
しかし、全国銀行協会では自主ルールとして、10年、20年経過した預金であっても払戻しに応じることになっている。つまり、いったん休眠(睡眠)扱いになった預金でも、引き出すことができるのだ。
小生の通帳は、最終引き出し日が平成11年(1999.6.22)だから、20年近く眠っていたのでこのルールが適用される。
この年は37年あまり勤めた第一の職場を離れ、第二の職場に転籍した年だったが、この口座を開設した理由や経緯が思い出せない。たった20年されども20年、耄碌寸前、往時茫々である。

なお、ごく最近(2018年1月)になって、「休眠預金等活用法」が施行され、「2009年1月1日から10年以上取引がない普通預金、定期預金、貯金、定期積立を『休眠預金』とする」と制定された。
つまり2019年1月から、休眠預金となった預金は預金保険機構に移管され、民間公益活動のために有効活用されることが決定している。自分の場合、これにも該当するだろう。
しかし、この場合も、名乗り出れば、口座のある銀行で引き出すことができる。ただ、2007年9月の民営化前に預けた郵便貯金は唯一例外なので要注意である。

JAのT支店はいつも車で近くを走るところなので、行ってみることにした。窓口嬢は、通帳を見て、確認処理などに時間がかかるから電話をするので、後日出直せと言う。
JAなので経済課の店舗に立ち寄る。鎌や地下たびなどとともに食品も店頭に並んでいる。同道してくれた家人は普段はスーパーで栃木や千葉県産こしひかりなどしか買わないがたまには食べようと、南魚沼産こしひかりを買うという。あわせておしるこ用の餡、煎餅などを買い込んで帰る。

2週間ほどしてJAのT支店から電話があり、印鑑、通帳本人確認出来るものを持参して来店せよとの連絡。印鑑はどれだったか覚えがないと言うと、ではこれと思うものがあればそれを、なければ新しいものをと仰る。
2度目も車で行った。今度は20分ほどで解約処理を含め全てが終了する。窓口嬢の感じがすこぶる良いので、口座を復活しようかとも思ったが、銀行口座は整理したいくらいなので思いとどまる。

それにつけても時間の経つのは早い。とくに老人には10年は須臾の間である。10年で休眠口座とはちと早すぎないか。休眠預金は、年間約900億円(例えば2011年3月期は約882億円)に及ぶというから活用したいというのは解るが、民間公益活動って何だろう。
窓口嬢によれば法改正後この種の問い合わせが増えているとか。皆没収されるのではないかとおそれてのことのようだが、これは誤解によるものだ。上手に普通預金を動かす方法なども含め、顧客に良く説明する親切を銀行には求めたい。

本題から逸れる。インターネットバンキングの急速な普及など、世の変化の中でメガバンクや地銀を含め今後の銀行経営は容易ならざる感がある。が、かたやJAは金融、経済、共済の複合経営の強みを持っているし、加えて営農のコンサルも出来る。さればどんな時代になっても、対応していけるのではないか。

暫くぶりでJAを訪れ、窓口嬢の笑顔に接してしみじみそう思った。

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アップルペンシル [絵]

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今年の5月、アップルペンシルが6世代アイパッドでも使えるようになったと知って、アイパッドを買い換えた。本来はメモを取るのに便利なものなのだろうが、自分にはもっぱら絵を描くためである。昔ワコムのタブレットIntuosを買って、使いこなせず投げ出したが、性懲りもないとはこのこと。
いくつかのお絵かきアプリを試して半年ばかりになるが、なかなか難しく上達しない。
水彩の鉛筆下がきを取り込んで、どんな背景の色にしようかと試し塗りをするのには役立つ。アプリ絵も水彩と同じで、いじっているうちに汚くなる傾向がある。
水彩画と違って、紙や絵の具もいらず水も用意する必要がないので老人にはありがたいが、なにせ操作が慣れるまで面倒だ。レイヤーや手順も意外と複雑で、絵の仕上がりとそれに要する時間の長短にもろに影響する。
出来上がった自分のアプリ絵は、我ながら迫力には乏しい気がする。
ネットなどでも良い絵と思うのは少ない。しかしながら、中には素晴らしいものもある。素晴らしいアプリ絵を描く方は、水彩や油彩でも良い絵を描かれる。してみるとアプリ絵もひとつの画材なのかとも思う。
今の自分にはとてもCGなどというには、ほど遠いが水彩の独習には役に立つような気がするし、水彩の道具の出し入れが本当に面倒になったときに、水彩に似た感触を愉しめそうな気がしている。
アップルペンシルは、その意味ではありがたくこころ強い味方ではある。

絵はアプリ絵の練習作、「安曇野の柿」。
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パソコン不具合始末記 [PC]

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使っている本人もへたっているが、このところPCの具合が悪かった。
起動が遅い。時折フリーズする。なんと、pcがおかしいから早急に手当てしないとウイルスにやられるなどという怪しげな広告がするすると画面下から現れ、いちいちバッテンをクリックして閉じなけれならない。
OSのプログラム更新(アップデート)をしようとすると再起動の際にフリーズして前に進まない。
ゴウを煮やしてメーカーのサポートデスクに電話をすると、どうも初期化が必要らしいから修理に出せと勧める。販売店の5年延長保証があと5日で切れるというタイミングだったので、それを奇貨として修理に出した。
診断は初期化が必要、他にもふたの開閉部分に損傷が見られ、先々悪くなる要因になるおそれありという。初期化は保障対象だが後者は自然故障でないから保障対象外。PCは5年が寿命と聞いていたので修理代を考えると新品を買った方が良さそうと即断して蓋の方はやめた。
自分でも初期化は出来るが、せっかくなので専門家にやってもらい、PCが戻ってきたのがおよそ2週間後。
その間アイパッドとアイフォーンで何の不自由もない。PCはアイチューンズと筆まめ、hpビルダーさえ使わなければ無用の長物だと分かる。
いずれはPCは地上から消える日が来るだろう。
さて、戻ってきてから元の状態に復する作業が大変。
リカバリーメディアを作るのは、容易に出来た。が、ウインドウズ8.0で戻ってきたので、8.1にグレードアップするのに半日以上かかった。更新プログラムというのが厄介なのである。10にするのをやめてよかった。Office,セキュリティなどソフトのインストール、LAN設定、外付HDからのデータコピーなど時間と手間がかかる。
結局11月後半いっぱいこの作業にとられた。
五年前、新pcを買う前も初期化をしたので、要領は分かるのだが年をとったせいかあちこちで壁にぶつかる。幸い今回はアイパッドがあるので検索しながら解決出来たことも多く助かった。
ヘルプデスクは1時間待ちはザラだが、ソフト会社のチャットによる相談は、速くてなかなかよろしい。
ただ、もう初期化復元はしたくない。いつも思うのだが、アプリケーションを含めて簡単にまるごと復元が出来たら助かる。しかしPCそのものが不要になったら意味はないが。
歳をとるに従ってpc生活はしんどくなっていく。我々の世代で言えば80歳を超えるとやめる人が多いのが、現実ではないかという気がする。
もとよりPC生活はPCに時間をとられることが多く、その時間は全く無駄というもの。時間の無い年寄りには勿体なさすぎる。
しみじみとした時間を少しでも長く過ごしたい老人には、余計なものだ。
自分もいつまでこんなことをするのか、出来るのかなどと考える。

e-Tax、インターネットショッピング、インターネットバンキングの便利さなどはアイパッドなどの情報端末があれば事足りる。
今回のpc故障でそのことを痛感した。繰り返しだがスマホの少し大きいやつ、WiFi +セルラー機能の付いたアイパッドプロみたいなもの、が老人向きだと思う。自分にはペンシルで絵を描く楽しみもある。
故障したら修理して貰うか、買い換えるだけというのもスマホ並み。
PC(iTunes)なしのバックアップ、復元はどうするのか気にはなるが、iCloud を使えばやりようはあるだろう。

もうひとつ。1990年代半ば、ウインドウズとマックの選択で前者を選択したが水彩を始めた頃(2004)、画質の良いマックに変えようと考えたことがあった。アイパッドがこんなに使い易いのが分かっていれば、転向した方が良かったのだがもう遅いだろう。
今回のウインドウズの初期化では、MacやiPadを気にしながらの作業だったのでこのことを改めて思い出したのである。後悔先に立たずである。

とまれ、今我がPCは蘇生してサクサクと動いている。まずはめでたいというべきだが、いつまで持つか。PCや先、我や先という状態が続く。

絵は水彩とアプリのStudy。アップルペンシルを使っている。水彩はストラスモアF6。
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シャコバサボテン [自然]

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暫くへたっていたが、家人の介護で復活したサボテン。
これはシャコバサボテンかカニバサボテンか?
蝦蛄か蟹か?
葉に突起があること、11月、12月に咲いたことからみてどうやらシャコバサボテンのよう。
別名クリスマスカクタスとか。

昔、大分の佐伯湾で蝦蛄の子を餌に手のひら大の小鯛釣りをしたことを思い出した。シャコの子は全身クリーム色一色だった。が、寿司で食べる成魚?は紫色っぽい。このサボテンの緑色の葉からシャコを連想し難いが、確かに棘は生えている。しかし蟹にも突起はある。はて?

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今年のかぼす [自然]

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昨年のかぼすは、沢山なったが、今年は裏年というのか数が4、50個と少なかった。昨年は300個はなった。そのかわり、今年のはサイズが大きい。沢山なっても摘果すれば大玉になるのだろうか。

全部取り尽くしたと思ったら、黄色く色づくとよく見えるようになり、いくつか残っていた。青いうちは葉の陰にあって見つからず、人の眼というのはあてにならないものと知らされる。

かぼすは大分県の名産だが、大分では熟したものを「黄色いかぼす」と言ってバカにしていた。かぼすも四国のスダチ(酢橘)と同じく、ふぐ刺しなどにかけて、まだ青い未熟の香りを楽しむ。大きくなったものはジューシーだが、夏みかんより酸っぱくてそのままでは食用とならない。

絞って秋刀魚にかけるか、ポン酢などを作るときの酢の代用品にするしかない。

それにしても、我が家のかぼすの木は樹齢が40年以上になると思うと、ただただ、ときの流れを感じるのみだ。


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解体パワーショベル [随想]

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このところ、ご近所は家の解体、新築が立て続けに数カ所あった。子供が独立して巣立ってしまい、老夫婦が住んでいたが、高齢化とともに戸建て管理が大変になったというのが多いようだ。更地にして売却したあとに、数件の新所帯向けの小さな家が建つ。自分たちは、その一角に住む方もおられる。世代の代わりでやむなしといえども、古屋の解体は見ていてものがなしい。壊される途中で二階の押入れなどが見えると、あそこで生活していたのだなと、人のことなれどなにやら妙な気になったりする。

しかし、やがて古い家が、庭木ともども跡形もなく消えると、そこにどんな家があったか思い出せなくなる。

解体に使われるパワーショベルは強力である。昭和に建てられた木造家屋などあっという間に壊される。

パワーショベルが動き出す前に合掌しているように見えた。

秋晴れや 解体ショベル 合掌す
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巨人ヤクルト戦 [健康]

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巨人ヤクルト戦
通っているフィットネスのキャンペーンに応募したら、巨人ヤクルトのペア観戦券が当選したので、家人を誘っていそいそと出かけた。いちおう幼児の頃より巨人大鵬ナントカである。
かつてジャイアンツの黄金時代・V9 (1965〜1973 )のあと、第一次長嶋監督時代(1975-1980)の頃に、何度か後楽園球場に巨人戦を観に行ったことがある。1976-79 年に営業部で仕事をしていたので、取引先との付き合いだが、むろん勤務時間外である。いまから40年前のことになる。
取引先は中堅中小企業に特化した営業。担当地区が日本橋、銀座地区で和菓子や和服卸など老舗が多かった。丁度非専従の中執委員長をやらされたのが1978年だったから、仕事とかけもちで多忙な日々をおくっていたので、その頃のことはよく記憶に残っている。

調べてみると、ダイエーの王監督とのON対決のあった2次長嶋監督時代は1993〜2001年である。この頃は多忙に加え、第二の職場への転職騒ぎでそれどころではなかった。
ともあれ当時のジャイアンツは、ピッカピカで今のジャイアンツには考えられぬ勢いであった。
東京ドームは1988年開業だから、当時は勿論屋外球場でナイターのビールもすこぶる結構だった。

今回東京ドーム球場は初めてだが(シートは一塁側内野席だった)、立派な割にはこの閉塞感は野球になじまないというのが個人的感想。雨が降っても野球ができるというが、雨が降ったら野球はしなくてよい。
BIGEGGは収容能力46千人という。この日も4万人が入場したらしい。
2位ヤクルトのクライマックスは固いにしても、DeNaとリーグ3〜4位を争っているジャイアンツとの対戦にしては驚くべき人気である。もちろんジャイアンツファンが圧倒的で、傘振りは少ない。不思議としか言えない。

それにつけても、最近のジャイアンツの低迷は眼を覆いたくなる。
いまや、ジャイアンツというよりプロ野球への関心そのものが薄れているので、監督は高橋由伸と知っているが、選手で知っているのは、坂本の他に阿部慎之介しかいない。
随分長いことテレビでも野球は見ていない。同じくサッカーも観ないが。

ところで、試合は5-0でジャイアンツが勝ち、ラッキーセブンに坂本のソロホームランも見ることが出来た。目出度い。

同じドーム関連で、1997年開業の大阪ドームに行ったことを思い出した。野球ではなく、1997年ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ダイアナ・ロスらが出演したガラコンサート(Super Concert in Osaka Dome)だった。
ただ、ここはその後ドーム命名権を売りに出し京セラドームになった。東京ドームはまだそういう話は聞かない。東京ドームシティは経営的にはうまくいっているのだろう。

後楽園球場に巨人戦をさかんに観に行っていた頃、所沢の西武球場にもよく行った。こちらはバックネット裏のレストランがお目当て。
同じく時は流れて西武球場も1999年ドーム化し西武ドームになり、いまメットライフ生命保険が命名権を買い、メットライフドームになっていることを知っている人は少ないのではないか。むろん西武ファンを除いてであるが。

はじめこそ興味ありげに観ていた家人も、飽きてきた様子。一番搾りも覚めて疲れてきたので7回終了後で家路についた。

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丸谷才一「笹まくら」 [本]

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この「笹まくら」は、最近読んだ米原万里の著書「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されている。彼女はどんなことに打ちのめされたのだろうか。
題名の「笹まくら」は鎌倉時代の歌人の「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」という和歌から来ている。
著者は1925年生まれ、2012年87歳で没。この小説は昭和41年(1966)刊行だから作者が41歳の時のもの。自分の41歳の時のことを思い、こんな小説が書けたかと考えるとたしかに打ちのめさたような気分になる。
「歳の残り」、「たった一人の反乱」、「輝く日の宮」、「裏声でうたへ君が代」などと並ぶ代表作であるが、この作品を一番に押す人が多いという。
物語は、昭和15年晩秋(主人公、浜田庄吉が徴兵され入営を迎える前日)に、出征壮行会の準備をしている実家から「床屋に行く」と行って出かけ、そのまま逃亡生活へと入る場面で終わるという変わった構成に驚かされる。それまで語られた全ての出発点にいきなり立たされた読者は一瞬名状しがたい気分になる仕掛け。
また読者は、戦後のサラリーマンとなった主人公の生活と戦争忌避者として逃亡生活を交互に語られる展開に、抵抗感なく引き込まれる筆力にも驚かされる。
これらの小説手法は村上春樹の作品に多く見られるなと、ふと思う。複数の物語の同時進行、二つの世界の行き来などだ。村上春樹のデビューを丸谷才一が評価したというのも頷ける。そういえば性描写なども共通点があるようにも思う。品格に少し差があるが。
それにしても戦争忌避、逃亡者をテーマにしたことは戦後の日本の歩みを考えると意味は何重にも深い。
漱石の「草枕」もやはり戦争とは無縁ではないという。丸谷才一は後に「徴兵忌避者としての夏目漱石」という評論を書いているが、自分はまだ読んでいない。
図書館でついでに借りたのは「たった一人の反乱 」「七十句 八十八句」どちらも面白い。
なかでも後者(古希に編んだ七十句、米寿記念の八十八句)に収録された岡野弘彦、長谷川櫂との三吟歌仙(連句)は楽しめる。氏(俳号玩亭)の付けは分かりやすくて面白く、久しぶりに堪能した。
もともと自分は著者を連句から読み始めたのである。長い小説より、五七五 七七の方が良いのはあながち歳をとったせいばかりでもなさそうだ。
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「ターナー 風景の詩」を観る [絵]

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西新宿スカートビルの42階にある損保ジャパン日本興亜美術館へ「ターナー 風景の詩」を観に行った。
この美術館は東郷青児記念として知られる。家からはアクセスが良いが、たいていは何かのついでに寄ることが多い。
今回も都庁へ免許更新のために行き帰りに寄ったのだが、この主目的の方がひどいチョンボで用が済まずひどい目にあった。もとより迂闊な方だが今回はひどい。
免許更新は誕生日の1ヶ月前後の間しか出来ないのに、1ヶ月前より10日前に行ってしまったのである。免許更新センターの受付の方は白髪の年寄りめいた人だったが、「旦那さん、10日早いですネ。」気の毒そうににこっとした。バカバカと言う。もちろん受け付けの方にではない。
1ヶ月前後の間(2ヶ月間)というのは承知していながら、全く念頭にのぼらず、ノホホンと出かけた。逆走とか、免許返納といった言葉が一瞬頭をかすめる。前ならいつでもいいのでは、と無意識のうちに行動した感じでもある。事故はこんな思い込み、不注意で起こす。
新宿駅から都庁へ行く歩く歩道が無くなっていた。また都庁のバカでかさは老人の衰えた足にきつい。八つ当たりだ。

展覧会は油彩、水彩画のほかにエッチングなどが多いが、70点あまり。相当な枚数である。1時過ぎまで1時間ほどターナーに酔う。終わるとへろへろになった。
1番良かったのは「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」1842年頃 (Watercolour and Scratching-out on paper )21.6×17.9cm。ターナーはルツェルン湖風景を好んで描いた。かつてこの湖に行ったことがあるけれど、周囲の山は目に入らなかったらしく覚えがない。

ほかに、美術館HP情報であるが、展覧された両陛下も見入っておられたという「セント・オールバンズ・ヘッド沖」(1822 水彩)もなるほど素晴らしい。

アランによるターナーの絵と「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」
(1819年頃 水彩、鉛筆、グワッシュ、スクレイピングアウト)をあしらったフォトスポットが訪れた人のために用意されていた。インスタ映えの風潮に呼応したのか。気恥ずかしいので自撮りは遠慮した。

相変わらずターナーの水彩は良い。地誌的風景、海景、山岳などに分類して展示されている。みな150年も前のものだという気がしない。スクラッチングアウト(引っ掻く)、やスクレイピングアウト(掻き出す)を具体的にはどうしたのか知る由も無いが、紙の白さを出して光や靄などを表現しているのにあらためて感心する。しかもターナーにはこんな工夫はほんの一部のことに過ぎないのだから、その技巧追求心に驚愕するしかない。

この美術館はゴッホのひまわりなどが常設展示されているが、東郷青児(1897-1978)の作品ももちろんある。資生堂風の油彩はそう好きではないが、今回は鉛筆淡彩によるスケッチ、デッサンが何点か展示されていて目をひいた。画伯70歳代のものが特に良い。
ターナーを観た後のせいか、意外に新鮮な感じがしてへえと思った。

次回の「巨匠たちのクレパス画展」(7月14日〜)も観たいが、もう都庁での脱力感はご免こうむりたいものだ。
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箱根山のつつじ [風流]

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今年は花が早く咲き急いでいる感じがする。桜も近所を散歩したとき見ただけでどこも出かけず終わってしまった。
つつじもじっくり見ずに終わってしまうのは、あまりに情けないと家人が嘆く。あじさいの季節がくるとすぐ夏になって花は終わる。
そのつつじが都立戸山公園(新宿区)の箱根山では満開という東京新聞の記事を見ていた家人が、ゴールデンウィーク前で人が少なくて良いかもしれないと言うので4月末日出かけた。
箱根山は標高44・6メートルあり山手線内最高峰だそう。

記事によれば4月22日、戸山公園で初めての「つつじまつり」が開かれ、都内や千葉、埼玉、群馬などから約四百六十人が登頂、江戸時代に尾張徳川家の下屋敷の庭園に築かれた箱根山の歴史を偲び、山肌で見頃のツツジの花を楽しんだとある。

戸山公園へは家からは阿佐ヶ谷ー大久保経由で40分ほど。近いのにこの公園には(・・記憶の限り)今まで行った覚えがない。
明治6年に陸軍戸山学校が出来、太平洋戦争後にその跡地に公園や都立住宅団地が開かれた。周辺は都心に近いのに閑静な住宅地である。

暑いくらいであるが、湿度が低いのか、風が少しあってもからりとした晴天で、緑陰が気持ちが良い日である。
箱根山は思ったほどの高さではないが、築山としては千駄ヶ谷富士(6メートル)に比べればそうとう高い。函谷関もももならずという難所箱根と言うには羊腸の小径も苔も生えていないが、江戸時代にはバーチャルリアリティとしてそれなりのものだったのであろう。
確かにつつじも咲いていたが、最近植栽されたものらしく本数は少ない。同じように東京新聞を見て来たと言う、高齢のご婦人もちょっと期待はずれという面持ちだった。

昨年は千駄ヶ谷の鳩森神社にある富士山に登ったことを思い出した。遠出はほとんどせず、すっかり新宿周辺を徘徊するだけになってしまったが、行く先もミニュチュアの富士山や箱根では冴えないことと呆れてしまう。

千駄ヶ谷で富士登山
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2017-04-04

つつじといえば大分九重連山のミヤマキリシマ(正確にはキリシマツツジというのか)の美しかったことが忘れられない。あのときは尋常じゃない光景を眼にしたと思った。
全国にツツジの名所は多い。

蛇足 。どうでも良いことながら「躑躅」は難読でありかつ、難書き漢字の最たるもののひとつ。音読みは「てきちゃく、てきちょく」とか。羊が足を踏み、走って散るさまという。ツツジの語源には諸説あるようだが、羊に関係する説は足へんがつくところから有力説のような気がする。

躑躅生けてその陰に干鱈割く女
岩躑躅 染むる涙や ほととぎ朱 芭蕉

写真は公園にあった栃の木。花が咲いていた。
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ふたたび認知機能検査 [車]

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早いもので免許更新から3年が経ってしまい、今年2月通知が来て認知症機能検査に行ってきた。75歳からは更新が3年ごとになり、認知症機能検査を受けなければならないので、2回目となる。
2回目ともなると慣れたもので、日頃の物忘れのひどさで心配したが、我ながら好成績でパス。
検査は16の絵を見てあとでいくつ思い出せるかというのが柱だが、この検査でも90点は超えたのではないかと思う。

ちなみに採点は、総合点をA1.15+B1.94+C2.97で計算する。Aは検査当日の日時を答えさせる問題の点数、Bが16の絵を思い出させるもの、Cは時計を書かせる問題である。Bで自分が正確にいくつ思い出せたのか不明だが、まあそこそこか。
総合点76点以上が記憶力、判断力に問題なし、49点未満はそれが低下しているので警察から連絡があると医師の診断を受けなければならない。
一緒に受検した隣の方はあまり絵を思い出せなかったようで苦労していた。あとで係の方から呼び出されていたが、どうなったか他人事ながら身につまされて心配である。
自分より2歳下の立派な紳士風だった。人みなそれぞれだが、単純に免許証を返上出来ない事情をもつひともいるのだ。

高齢者になっての免許更新(74歳までは講習のみで認知機能検査はない)は今回が3度目になる。
たぶんこれが最後になるだろうと思いつつ、高齢者運転講習を予約(6月11日)してとりあえず今日のところは無事終了した。

高齢者運転免許更新
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-3

認知機能検査
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21
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 [絵]

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すずきはよく知られているように出世魚である。家人が買ってきたのは、計らなかったが30cmほど、フッコかセイゴといったところか。
白身魚で味は淡白、フランス料理でもムニエルやカルパッチョなど良く使われる食材。旬は冬かと思っていたが、魚やさんによれば意外にも春だとのこと。
すずきのえら返し(えら洗いとも)と呼ばれるほど引きが強いので釣り人に人気がある。
英名Japanese sea bass 。

絵は透明水彩で。アルシュ 31×41cm。

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マスキングを剥がしたところを写真に取り込んで、色の練習になるかとアプリでも描いて見た。初めて使ったアプリなのであまりうまくいかなかった。青みがかった黒が出ない。

我々は、一尾を刺身、もう一尾はポワレで食べた。すこぶる結構な味であった。
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米原万里を読む⑵終「オリガ・モリソヴナの反語法」など [本]

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「不実な美女か貞淑な醜女か」(1994 新潮社)読売文学賞。
通訳にまつわるあれこれ。通訳者を志ざす者にとっては得難い教科書、参考書であることは間違いなかろう。たぶん翻訳者にとっても。しかし、一読すれば、単なる教科書、入門書でないことはすぐに分かる。読んでいると、むかし仕事では通訳のお世話になったことが多く色々思い出した。中国語や英語で露語ではないが、書かれていることは似たようなものだろう。
一番印象的だったのは、ムーディ社やスタンダード&プア社から格付けを取るときにお願いした通訳者の博識、彼女たちも必死で金融知識を予習していたのだろう。トンチンカンな専門用語など一言も使わなかった。

「ロシアは今日も荒れ模様」(1998 日本経済新聞社)
チャーチルは「ロシアは謎の謎、そして謎の中の謎」と言ったとあるが、確かに不思議な国らしい。この本ではその謎が少しは解けるだけでなく、翻って日本のことも解ってくるのが可笑しい。例えば「日本は資本主義国ではない。理想的な社会主義に一番近い国だ。ロシアはそれに向いていない」とロシア人がのたまう。すぐ皆が一方方向に走る、戦後の銀行の護送船団方式や最近の忖度世相を見ると、そうだなと思わずうなづく。
解説者袴田茂樹は米原ブシは独特のノリで誇張にわかに信じがたいようなところもあるが、一種の照れ隠しだと言う。そのようだ。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(2002 集英社文庫 ) Bunkamura ドゥマゴ文学賞。
スターリン時代の暗黒、ソヴィエト崩壊後のロシア、1960年代のプラハを舞台に展開する老舞踏家の行方を追う長編小説。文庫本で493ページに及ぶ大作である。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と同じく、著者のプラハにおけるソヴィエト学校の経験がその核になっている。がこちらの方が少しフィクション色が濃い。だれでもロシア語に翻訳したら、彼の国の文学愛好者にどう受け止められるだろうかという興味が湧くだろう。
しかし、遠く離れた日本に住む自分にも、当時の社会主義国家の激動が感じられて面白く読了した。執筆に際し読んだという参考文献の量に驚く。

「旅行者の食卓」(2002 文藝春秋)
健啖家、胃丈夫(偉丈婦?)の著者の食べ物にまつわるエッセイ集。解説東海林さだを。
ウオッカのアルコール度は39、41度でもなく40度だとか、不味い「旅行者の朝食」という缶詰があったらしいとか、面白い話が音楽演奏会仕立てで纏められていて楽しい。

「わたし猫語がわかるのよ」日本ペンクラブ(2004 光文社)
題名を見て全部が米原万里の猫随筆かと勘違いしたが、米原万里は「白ネクタイのノワ」と題する一編を載せているのみ。他の作家やエッセイストたちの猫随筆を集めたものだった。ときどきこういう失敗をする。猫随筆もたくさん読むと、皆同じようになってきてつまらなくなる。
浅田次郎の私は猫であるという書き出しで始まる「百匹の猫」だけが面白かった。ペンクラブ会長だけに(ー関係ないが)とぼけた味わいがある。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」(2005 筑摩書房)
ちくまに連載されたものを修正、加筆中に病気になる。少女の時の素朴な疑問、通訳者としての難問(固有の文化の言葉をどう伝えるのかなど)を解き明かそうとした「力作」と言えよう。単にシモネッタなどと思うと間違う。パンツの歴史は古く、騎馬民族などは最近のものらしい。論考は多岐にわたり、しかも微細に及ぶのでこれを読み通すには、ふんどしを締めてかかる必要がある。傍線が引かれていて助かる。

「必笑小咄のテクニック」(2005 集英社)
雑誌に連載した小咄の創り方を加筆修正したもの。著者が類い稀なユーモア感覚を持ち、いかにそれを大事なものと思っているかが分かる。苦しい時こそこれが大事と。この本も刊行直前に著者を病魔が襲う。
翻って我がことを思えば、著者の反対のところにいる感じか。大事だと分かるが笑いのセンスに乏しい。それでも俳句、連句、戯れ歌などに興味はあるのだが。
情けないが自分が本当に苦しいとき、彼女のように「ユーモア」に思いが至るか全く自信はない。
この小咄のテクニックは、お笑い芸人にはもってこいの教科書になるだろうというのが読後感とは情けない。

「偉くない「私」が一番自由」佐藤 優編 (2006文藝春秋)
佐藤優編によるロシア料理仕立ての著作集。佐藤は元外交官、作家、大学教授。外務省情報分析官のとき北方領土返還交渉に関わり代議士鈴木宗男逮捕事件に連座、背任等で逮捕、有罪。著書の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」が話題となる。ついでにこれも読んだ。米原とはロシア繋がりであろう知人の間柄。佐藤の方が10歳若い。
なお、編集はロシア料理のコース仕立てになっている。ロシア料理を知っていれば、個々のエッセイがより味わいも深いものになるのだろうが残念。
米原の文章に「日本の古本屋」で古本をネットで買えると初めて教えられた。便利そうなので早速登録をしてみた。まだ試してはいない。

「打ちのめされるようなすごい本」(2006 文藝春秋)週刊誌などに掲載された書評集。
読書量の膨大なことに驚く。丸谷才一を高く評価している。「笹まくら 」「輝く日の宮」などが「ーようなすごい小説」。その丸谷才一が解説。その解説者も言っているが米原の書評は褒め方が上手い。
書評と無関係だが、文章の中に「猫の脳はヒトの脳と相似形、前頭葉が無いだけ」という記述に会い「前頭葉」をネットで調べてみた。
「前頭葉の持つ実行機能(executive function) と呼ばれる能力は、現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している」とある。
どうも猫の表情しぐさは人に近いなと最近強く思うので興味を持ったのだが、こんな実行機能の説明ではさっぱり要領を得ない。

「発明マニア」(2010 文藝春秋)
この本は米原万里が2003年から2006年まで雑誌に掲載したものを、没後収録刊行したもの。文庫本で579ページに達する大作。発明マニアの名に恥じぬ、数多の奇天烈な発明に名を借りた世相、文化評論である。
最後の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」は2006.5.21の日付になっているが、米原万里の死去は2006.5.25である。まさに絶筆だが畏れ入るばかりだ。
そもそも日本はアメリカの属領だから外務省はアクセサリーに過ぎないと持論を展開し、アメリカに丁寧なのに反比例して米国以外の国へ発言の不用意なこと、無礼、物騒なことと嘆く。自らのガンのことなど一切書かない。
新井八代なるペンネームで著者が大量の挿絵を描いている。絵は自己流というが、独特の味がある。習わなくとも、もう少し描いたらいっぱしのイラストレーターになっただろう。
米原万里は、もう少し長く生きたら、良い文章と絵をもっと残したに違いない。池田晶子(とその早世)を知った時と同じ気持ちになった。佳人薄命だとしみじみ思う。


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